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呑竜仲店で飲む~70年の歴史と由来【前橋~ショート・ショート・フィールドワーク】(3)

入口の「呑龍飲食店街」という白地に赤かく輝く文字が浮かび上がります。その先は暗く踏み込むのを一瞬躊躇してしまいます。群馬県前橋市の70年以上の歴史を持つ弁天通りの飲み屋街です。

勇気を出して路地へ入ると「呑竜仲店」という青文字が白地に浮かび上がります。
呑龍飲食店街(前橋市)
終戦のわずか10日前の昭和20年8月5日に前橋大空襲がありました。被災人口65%にも至る大惨事でした。1947年の戦災復興計画に基づき大蓮寺の土地を目的に呑龍仲店が建てられました。

焼け野原の中のマーケットとして復興のシンボルとなりました。その後、徐々に飲み屋街化していきました。
呑龍飲食店街(前橋市)
人の行き来がない通りでした。友人と二人、カラオケの音が外に漏れることもない閑散とした通路でどの店に入るのかまたも躊躇しました。最後は「えいや!」で一軒の店に飛び込みました。
呑龍飲食店街(前橋市)
我々は想定外の客だったようで店のママは不意を突かれた感じで対応に入りました。しばらく話していると次第に打ち解け呑龍の歴史、店主たちの関係、店の歴史、ママの身の上話が次々と語られました。

1982年11月に起きた大火災についてはスクラップブックを開きながらの話でした。
呑龍飲食店街(前橋市)
この火災で呑龍仲店は全焼しました。当時の店主、常連客、協力者たちの力で翌年の12月に再建を成し遂げました。その後も裁判など苦労は絶えなかったようです。

再建されたときに「呑龍仲店」から「呑竜仲店」と改名されています。

想像を絶する苦労を乗り越えてきたママ達が現役で今も働いています。当然、年を重ね他界された方もいます。
呑龍飲食店街(前橋市)
最も印象的だっに会話は「前橋市街地の活性化について」でした。店のママ、前橋育ちの友人、そして私の三名が一瞬で意気投合した解決策は「市営駐車場の無料化」でした。

車社会の現代において中心市街地へアクセスをし易くする対策は活性化への土台となります。夜10時をまわり別のお客さんが来たので切り上げました。

弁天通りは消灯されて真っ暗でした。

そもそも「呑龍」とは?帰ってから調べると「子育て呑龍」と呼ばれた呑龍(竜)上人(1556~1623)から命名されたことが分かりました。

呑龍上人は仲店の土地を所有する大蓮寺に祀られています。

生まれは割村(埼玉県春日部市)で増上寺で修業した浄土宗の僧侶です。1613年に徳川家康の命で上野国太田(群馬県太田市)に大光院が建立し開山になりました。

当時は乱世が終わったばかり人身は乱れたままで捨て子や間引きが横行していました。呑龍上人は捨て子や貧しい子供を引き取り弟子と言う名目で寺で養育しました。

しかし、3年後の1616年に国禁を犯した子供をかくまった罪で呑龍上人は赦免されました。

知る人ぞ知る尊敬される名僧です。

ほいじゃ
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