スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

小さな官道!?東山道武蔵野路【国分寺フィールドワーク・スピンオフ編】(18)

古代日本で東京都呼ばれる行政区画すなわち武蔵国の中心は府中でした。国府が置かれ多くの街道がここを起点としていました。律令制の確立から「五畿七道」が整備され奈良の都から各地へ官道して曳かれました。

武蔵野国への官道は上野国邑楽郡から真っ直ぐに南下する「東山道武蔵野路」が建設されました。
東山道武蔵路跡(武蔵国分寺跡北方地区)
行こう行こうと思っていた場所です。頭の中にはテレビで取り上げられた発掘中のイメージです。武蔵国分寺跡から歩いて行き建物の合間にある小さな武蔵野路を見つけました。「あれ…短い。」私がテレビで見たのは長い太い道でした。
東山道武蔵路跡(武蔵国分寺跡北方地区)
案内板を見るとこの場所は市立第四小学校の跡地が発掘され「歴史公園史跡東山道武蔵野路」になっています。奥にある看板には崖線下へ向かって一直線に伸びていた「東山道武蔵野路」が描かれています。

直線道路ならではの豪快な風景です。東山道武蔵野路は幅12mの直線道路でした。

権力の象徴としてあえて直線化したと考えられます。この辺りは武蔵野段丘が終わる国分寺崖線に近い場所です。そのまま南下すれば崖を一気に下ります。当時は建物も少なく開けた風景だったのでしょう。
東山道武蔵野路跡-002
【真っ直ぐな東山道武蔵野路と跡がわかる場所(赤)】

北に目を向けると300mの遊歩道となった発掘現場があります。これが度々テレビで放映されていた場所です。それりよりも北にはJRの線路を超えた「姿見の池」辺りから東山道武蔵野路の一部が発掘されています。
東山道武蔵路跡(武蔵国分寺跡北方地区)
ここは短い区間でありながら埋め戻された遺跡の位置が地面に記録され興味深い場所です。色が違う部分は側溝があった位置です。三度の修復、作り替えが行われたことが発掘から分かっています。

第一期:側溝間隔12mの道
第二期:第一期の側溝が埋没。上に道を敷き第二期の側溝を掘削する
第三期:西側にずらし新たに側溝を掘削し道を整備する
第四期:(この辺りには通っていなかったようです。)
東山道武蔵路跡(武蔵国分寺跡北方地区)
東山道武蔵野路の東側から第三期側溝が埋没した後に掘られ穴が記録されています。ここからは口と口を合わさった杯(さかずき)が発見されています。地鎮や呪術的な儀式を行った場所と考えれています。

ちなみに都では同じ形式で道餐祭(みちあえのまつり)という儀式が行われた記録が残っています。都に災いが侵入しないように外縁道路で儀式は行われていました。武蔵路が埋没した後の儀式は何だったのでしょうか。
東山道武蔵路跡(武蔵国分寺跡北方地区)
東山道武蔵野路の西側から竪穴式住居が発掘されています。先ほど同様に東山道が埋没した上に重複して作られた9世紀の遺跡です。道路はそれ以前に機能を失っていたことになります。

ちなみに東山道武蔵野路周辺からは9~10世紀の竪穴式住居が多く発見されています。特徴は武蔵国分寺の屋根瓦を竈(かまど)の補強材として使っていた点です。

旧武蔵国分寺の焼失は14世紀ですから再利用だった可能性があります。

さらに調べていくと8世紀にはすでに官道から支道へ格下げされたことが記録に残っています。それが廃道化する原因だったのかもしれません。

次は最終回です。

つづく…ほいじゃ
3
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 日帰りお出かけ
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Crazybowler

Author:Crazybowler

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。