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古い道筋と貫井神社【国分寺フィールドワーク・スピンオフ編】(9)

貫井(ぬくい)神社境内のハケ(国分寺崖線)から武蔵野段丘へ登れる階段がありました。地形好きならば99%登りたくなる道だと思います。古道好きにとってもそそるものがあります。
貫井神社(小金井市)
小金井市西端に位置して国分寺崖線の窪地に作られた貫井神社は湧水が安定的に流れ出る場所で水が絶えることはありません。豊富な水が長い年月をかけて崖を浸食してできたスリバチ地形です。
貫井神社(小金井市)
明治前期の迅速測図を確認しました。前々回のブログで紹介した「車屋の坂」と貫井神社境内から伸びる階段が描かれています。明治前期と言えばまだ江戸時代の風景が残っていた時代です。

不可解な点があります。貫井神社のところが愛宕社となっています。愛宕社(愛宕神社)は階段の上にある神社です。まだ神仏習合の感覚が残る時代で今も隣に残る真明寺の敷地と認識されたのかもしれません。

少なくと愛宕社は知られた存在だったのでしょう。ちなみにその数十メートル先には八雲神社があります。明治初期には存在したこの階段を「愛宕・八雲神社の階段(仮)」と表現させてもらいます。
貫井神社(小金井市)
愛宕神社まで登り切る手前に建物があります。木の板に「不動尊」と彫られています。不動堂の横にはお地蔵様が2体あり大きい方のお地蔵様は上部かけています。
貫井神社(小金井市)
刻まれた文字によると元禄12年(1699)頃に作られた様です。貫井神社の前身である貫井弁財天が真明寺の一部だった時代に作られたことになります。「供養地蔵講中二世安楽」と彫られています。

講中(こうじゅう)の意味をKotobankで調べると次の様です。「1講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。」ということです。彼らが建てたお地蔵様という事なのでしょう。
末社愛宕神社 貫井神社(小金井市)
不動堂を出て真っ直ぐな階段の最上部にある愛宕社まで登り切ります。ここが迅速測図に書かれている愛宕社の様です。現在は貫井神社の末社になっています。見た目は簡素、情報はほとんどなく歴史は分かりません。
貫井神社(小金井市)
勾配差のほとんどない階段を経て数十メートル進むと八雲神社があります。ここも愛宕神社同様に簡素な造りで貫井神社の末社です。ここはハケの上、武蔵野段丘面です。

鬱蒼とした雑木林の丁度真ん中辺りにあります。道はさらに北へ続いています。
貫井神社‗現代MAPION
江戸時代の小金井市は幕府の天領でした。承応3年(1654)に玉川上水ができて分水が許可されると武蔵野段丘面は発展しました。享保年間(1716~1736年)にハケの下で武蔵野新田開発が行われました。

明治前期の迅速測図から推測するに水田は野川沿いに作られました。湧水が豊富なハケの下でも野川から一段高い微高地では畑として活用した様です。ハケの上の武蔵野段丘面も畑で玉川上水の水を活用した考えられます。

昔の地図を見た後に現代の地図を見ると色々なことが見えて来ます。

「車屋の坂」と愛宕・八雲神社の坂(仮)と道筋は当時からありましたが現在の様につながってなく別の道筋でした。また「車屋の坂」の南にある蛇行した現在の道路は直線化される前の野川の流れです。

貫井神社と野川は今よりも近い位置関係にありました。

古い道と古い流れを堪能した後は野川沿いを歩き駅に一旦戻ります。そして、お鷹の道を目指します。

つづく…ほいじゃ
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