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車屋の坂と小金井風土記【国分寺フィールドワーク・スピンオフ編】(7)

小金井市の坂は名前が簡単に検索できます。国分寺崖線沿いのほぼ全ての坂に名前があります。一方で国分寺崖線の由来までなった国分寺市は名前のある坂は少なく検索しても断片的な情報が目立ちます。
ハケの道(小金井市貫井)
国分寺市と小金井市の境にある「くらぼね坂」を横切り再び「ハケの道」へ入ります。小金井市の国分寺崖線に入りました。この辺りの「武蔵野段丘面」と「ハケの道」の高低差は11mほどです。
国分寺新次郎池-005
次の目的地は貫井神社です。有名な国分寺崖線の湧水のひとつです。神社は湧き水により浸食されたスリバチ地形をしています。そして、神社に至るまでの短い道中も興味深いものがあります。
ハケの道(小金井市貫井)
崖の急斜面が「ハケの道」近くまで迫って来ます。斜面には住宅が所狭しと並び人間の開拓精神と土木技術に脱帽します。ここは幅広い階段が設置され両側に比較的新しい住宅が整然と並んでいます。
ハケの道(小金井市貫井)
数十メートル進むと特徴的な階段があります。傾斜計で実測すると34度、674‰ある急な階段です。国分寺崖線に対して垂直に作られ崖線の傾斜を体感するのには持って来いの場所です。
ハケの道(小金井市貫井)
さらに数十メートル進むと斜めに崖線を上り下りする坂があります。先ほどの階段と坂は途中で合流しています。「車屋の坂」と検索で出てきました。上部でS字に曲がる距離約110~115m、高低差約16mの坂です。
ハケの道(小金井市貫井)
坂の名前の由来は水車です。「上の車」、「下の車」と呼ばれた鈴木家と秋和家がそれぞれ経営する二基の水車小屋が坂の脇にありました。貫井弁天前に通じる坂だったため弁天坂という別名があります。

坂に入ってすぐの所に庚申塔があります。

この辺りは享保年間(1716~1736年)に新田開発が行われました。明治中期までに作られた迅速測図にも「車屋の坂」の道筋は描けています。
貫井神社(小金井市)
寄り道をしながらもあっという間に貫井神社に到着しました。「車屋の坂」、「庚申塔」、そして「貫井神社」が隣接し歴史を感じさせてくれる地域です。ローカルな情報もネットで簡単に検索できます。

神社の境内は一段高い所にあります。背後には崖が迫り地形好きの期待値を上げてくれます。

小金井市の情報が充実している要因に芳須緑【よしずみみどり】(1908~1995)著の「小金井風土記」シリーズが上げられます。続編は「続小金井風土記」、「続々小金井風土記」まであります。

他にも「小金井風土記余聞」、「小金井の方言」など小金井の歴史、風土、風習を調べた書物を残しています。加えて行政も積極的に市の文化面を押しています。

現在、東京と周辺にある寺社の歴史が語られる時、その多くが「新編武蔵風土記稿」からの引用です。どこの地域にもいつの時代にも書き残す活動がなければ地域の文化は消えて仕舞います。

私も書き残す一人になれたらと思いつつ貫井神社へと進みます。

つづく…ほいじゃ
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