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水と多摩・殿ヶ谷戸庭園【国分寺フィールドワーク・スピンオフ編】(1)

地形を見ると谷戸、殿は誰なのでしょう。殿ヶ谷戸庭園の名前の由来は庭園の辺りは殿ヶ谷戸という地名だったからです。地名の由来は何なんでしょう。「殿の谷戸」と解釈できます。
国分寺殿ヶ谷戸庭園
農村地帯では殿と言うと国人だった家系を指すことが多い様です。奈良時代に武蔵国分寺でき国人の子孫が国分寺周辺に代々住んでいても不思議ではありません。

接点はあるかは不明ですが平安末期から鎌倉時代の武蔵野国多摩郡を語る上で欠かせない武蔵七党の横山党や西氏との関係も気になります。八王子にも殿ヶ谷戸と呼ばれる地があります。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
明治時代前半に作られた迅速速図によると谷戸は田として活用され崖線は樹木地でした。大正時代になり貴族院の江口貞條(さだえ)が別荘を構え随宜園(ずいぎえん)と呼びました。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
昭和4年に三菱の岩崎彦彌太が別荘を買い上げて昭和9年に回遊式庭園に作り替えました。和洋折衷の木造主屋、庭園建築の紅葉亭、段丘上の芝生地、段丘崖下への道など現在見る姿が作られました。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
殿ヶ谷戸庭園で余り語られていない事はここの湧水が野川の源流の一つだということです。源流と言われる日立製作所中央研究所や真姿の池に比べると水量が少ないので支流と捉えられているのでしょう。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
切り立った崖の上にある紅葉亭ですが岩崎彦彌太の所有になってから作られた建物です。スリバチ状になった地形の底にある池を見下ろせます。昭和初期の姿を今に残しています。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
紅葉亭の横には井戸水を利用した『鹿(しし)おどし』があります。水流は見事に演出され崖下の池まで流れ落ち行きます。崖と水を巧みに活用した見事なランドスケープ設計です。
殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)
高度成長期の開発の波が押し寄せる中で昭和40年代から保存を訴える住民運動が起こりました。昭和49年に都が買収して都立庭園として開園させまるに至りました。

平成23年までには国の名勝に指定されました。

園内には11基の馬頭観音が残されています。これらは別荘になる前からあったものです。実は古代から多摩地区は水に恵まれ馬の産地でした。現在、府中に東京競馬場があるのも偶然ではないかもしれません。

古代から現代までの東京多摩地区が殿ヶ谷戸庭園と水から浮かび上がります。

ほいじゃ
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