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東山道武蔵野路跡と姿見の池【国分寺フィールドワーク(東京スリバチ学会)】(7)

名も無き坂、階段、そして古道です。地球上に生まれた何十億人のほとんどが名も無きままこの世を去って行きます。道も現れたり消えたりします。中には後世に残る道もあります。
府中街道(西国分寺)
川崎と所沢を結ぶ府中街道です。西国分寺駅前を通っています。この道は江戸時代に整備された道と推測されています。明治前期の迅速速図によると国分寺駅の高台から現在の西恋ヶ窪の谷に道は通っていました。
東京 西国分寺の古道?
この道は中央本線の線路に阻まれた旧府中街道の道筋と推定できます。迅速測図を読み込んで行くと府中から西国分寺駅に至る道も現在の道筋と違い「伝鎌倉街道」と呼ばれる古道が使われたと推定されます。

何とも言えぬ寂しげな出で立ちです。しかし、建物もなく昔の様子を見ている錯覚を覚えます。
国分寺俯瞰2
西恋ヶ窪に残るこの古い道筋には平安時代末期の伝説にも登場する「姿見の池」や「一葉松」があります。当時は恋ヶ窪宿があり遊郭もあったと伝わっています。

近くには奈良時代の律令制下で作られた「東山道武蔵野路跡」もあります。
西国分寺 西恋ヶ窪 旧府中街道
江戸時代初期に玉川上水から恋ヶ窪分水が引かれました。この古い道筋沿いに北から恋ヶ窪用水が流れていました。そして、蛇行して現在「姿見の池」があるところを通り別の野川の源流と合流していました。

私はフィールドワークをここで途中離脱したました。離脱したとは言え自己の習性から西国分人駅へ向かう途中も道筋をつぶらに観察していました。
東京 西国分寺の坂
迅速速図によると明治前期の恋ヶ窪は谷下に幹線道路が通ったため武蔵野段丘面に登る坂は今ほどありませんでした。崖の法面は樹林地で段丘面は畑と樹林地が分布していました。

集落は街道沿いにあり段丘面にはありませんでした。名も無きこの階段は歴史的に見て新しいものです。
東京 西国分寺の階段
たぶん名前はないでしょう。崖沿いを歩くと坂がありました。明治時代前期までは少なくとも樹林地だったところです。もしかしたら樹木の中に地図にない人一人が通れる小道があったかもしれません。

坂下の標高は71m前後で府中街道まで登ると77m台です。84‰(高低差6.8m、距離100m)の坂です。
東福寺横の坂(国分寺市)
この坂だけ今迄の階段や坂と違い迅速速図に載っています。東福寺の横にある坂です。坂上近くには稲荷神社があります。街歩きをしている人ならば蛇行する様子と寺社の配置から古い坂だと直感するはずです。

坂下の標高は69m台で府中街道まで上がると77m台です。80‰(高低差8m、距離81m)の緩やかな坂です。
西恋ヶ窪 東福寺(国分寺市)
東福寺には野川の源流の一つだった湧水があった様です。案内板の古い川筋によると崖の法面辺り、現在の東福寺本堂付近から水が流れていた様です。東福寺の本堂付近からは一段高い所にあります。

恋ヶ窪用水(分水路)ができる前から谷は浸食されていた訳ですから他にも湧水があっても不思議ではありません。
西恋ヶ窪 東福寺(国分寺市)
突然、写真が昼間から夜に変わったと気付いた方もいると思います。実を言うとフィールドワークを途中で抜けたため2014年3月のとある午後から雪が降った日に国分寺を再度訪れました。

フィールドワークの際に配られた地図を参考にして行けなかった場所を探索しました。この様子は一回別のブログを挟み紹介します。ひと言で表すと国分寺崖線と豊富な湧き水を巡る小旅行でした。

ほいじゃ
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