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小さな谷と神社と空襲【東十条・王子・駒込フィールドワーク(東京スリバチ学会)】(27)

最後は名も無き小さな谷戸でした。東十条から駒込まで歩いたフィールドワークも最終セクションに入り旧古川庭園、霜降銀座商店街を経て蛇行しながら駒込駅を目指しました。
komagome2.jpg
本郷通を駒込方面へ向かうと妙義坂があります。ここは古の石神井川が武蔵野台地を浸食した谷から台地へ上がる坂です。しかし、妙義坂を登らずに路地へ入りました。そこには小さな谷戸がありました。
妙義神社へ(豊島区)
横道にそれたら谷間だった…。武蔵野台地で構成される都心部に多い光景です。ここは旧石神井川が武蔵野台地を削ってできた谷間です。大きな谷の横にさらに小さな谷間がある興味深い場所です。
妙義神社(豊島区)
妙義と言えば群馬の妙義山ですが駒込の妙義神社は関係がない様です。『新編武蔵風土記国稿(1828年)』には日本武尊が東征の際に陣営を構えた所を651年に白鳥社と称した書かれています。

豊島区最古の神社です。

また、太田道灌(1432~1486)が3度の合戦の前に戦勝祈願をしすべて勝利したことから「戦勝(かちいくさ)の宮」として信仰を集めました。残念ながら妙義の名の由来は分かりませんでした。
妙義神社 庚申塔(豊島区)
江戸時代初期にこの地域で信仰を集めていた証しが残っています。寛永19年(1642年)に建立された庚申の碑です。昭和40年(1965年)の神社復興工事の際に発見されました。

ちなみに『新編武蔵風土記国稿(1828年)』には寛文2年の庚申の碑もあったと書かれています。しかし、こちらは見付かっていません。戦災で失われたと推測されています。
妙義神社から駒込駅へ(豊島区)
小さな岬状の台地上にある妙義神社を出て小さな谷底まで戻りました。そして神社の古道は無視して谷間の最も低い道を登って行きました。東京スリバチ学会らしいルートです。
妙義神社から駒込駅へ(豊島区)
明治初期の迅速速図を見ると谷間には建物はまばらで畑に使われてなかった様です。谷底の道も明治時代にはありませんでした。建物を観察すると昭和のテーストが残されています。

昭和20年4月12日から13日の空襲で駒込、巣鴨、大塚、池袋は焼野原になりました。駒込駅近くの妙義神社と小さな谷戸も例外ではありません。この街並みは戦後に作られたものです。
大國神社(豊島区)
小さな谷戸を抜けると駒込駅の前にある大國神社がゴールでした。天明3年(1783年)に大島家が邸宅と共に大黒天を遷座しました。神社の形態になったのは明治12年(1879年)です。

德川11代将軍家斉公が将軍職を継ぐ前から信仰していたため「出世大黒」と呼ばれました。ちなみに大國神社も昭和20年4月の空襲で焼け戦後に再建されています。
131207tour.jpg
東十条駅から駒込駅まで歩いたフィールドワークのゴールです。全体像を地形図にしてGPSの軌道を載せると武蔵野台地の上、東京低地の際、渓谷、谷間など様々な地形を歩いたことを実感できます。

破壊と再建が何度も起きた東京はほとんどが過去の姿を残していません。そこに面白味があります。推理する余白があるからです。江戸時代以前は記録も少なくはっきりしません。

しかし、先土器時代から現代まで人の営みがあり続けた場所です。徳川家康入府と大規模開発、江戸の大火と再開発、関東大震災と再開発、空襲と高度成長期の開発と破壊と創造の連続です。

だからこそ点と点をつなげる楽しさがあります。

12月だったこともありフィールドワーク後は新富町で忘年会がありました。まさかそこでも街歩きもするとは…。

つづく…ほいじゃ
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