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崖線の庭園~旧古河庭園【東十条・王子・駒込フィールドワーク(東京スリバチ学会)】(25)

東京の上野から赤羽まで続く崖を縦横無尽に歩き旧古河庭園に辿り着きました。歩いている時は勾配を感じつつも地形図に落とし込むと「なるほど、この様に歩いたのか」と初めて分かった気がします。
kyufurukawa2-001.jpg
2010年にも訪れてブログを書いています。歴史や見どころはこちらで分かります。以前のブログのリンクは以下から入れます。

旧古河庭園① 東京都北区
旧古河庭園② 東京都北区
旧古河庭園③ 洋風ガーデンの薔薇
旧古河庭園④ 東京都北区

ちなみに画像は小さいのですがクリックすると今よりも大きな画像で見ることができます。今回は夕暮れ時だったので写真が余りにも貧弱です。概要と地形絡みの内容を書きます。
kyufurukawa.jpg
旧古河庭園は古い石神井川の流れが武蔵野台地を浸食した崖の上下を跨いで立地しています。高台には西洋館と西洋庭園が崖下は日本庭園があります。異色の2つの空間が一つの敷地に同居する不思議な場所です。
旧古河庭園
洋館は明治維新後にお雇い外国人として日本の建築に影響を残したジョサイア・コンドル(1852~1920)の設計です。竣工は1917年(大正6年)です。築100年になるのも間近です。
旧古河庭園
崖下の日本庭園は近代日本庭園の先駆者である小川治兵衛(植治)の作です。心字池を中心に枯滝を作り回遊式庭園の様相でありながら江戸時代の様式とは一線を画しています。

明治以降は外務大臣として不平等条約解消に尽力した陸奥宗光の邸宅でした。次男が古河家の養子になり邸宅は古河家の所有になります。そして敷地は見事な庭園へと生まれ変わることになります。
迅速測図 旧古河庭園
それ以前はと言えばどうも畑だった様です。明治初期に作られた地図「迅速測図」によると台地の上も崖下も『畑』の文字があります。江戸時代はと言えば一角に戸川播磨守の屋敷がありました。

江戸時代の絵図には洋館が現在ある台地の上に池が描かれています。大部分は緑で描かれ何のための土地か書かれていません。
旧古河庭園
園内で気になった点は水の流れです。現在は地下水をポンプでくみ上げ高さ20mと表記される大滝を落ちます。そして心字池を経由して細い流れとなります。
旧古河庭園
小川は一旦馬車道の下を通り再び地上に現れ塀沿いで流れていきます。そして、暗闇の中へ…。水はどこへ行ったのでしょう?どの時代の地図にも流れは描かれていません。
旧古河庭園
旧古河庭園の外まで目を向けると150mほど南に現在は暗渠となった谷田川が流れています。もしかしたら、旧古河庭園を出た流れは谷田川に合流しているのかもしれません。

いや、そうではないかもしれません。この庭園の水はできた当初からポンプで水を上げていた様です。水は循環しているのかもしれません。詳しい話は次に訪れた時に聞こうと思います。

つづく…ほいじゃ
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