地形図を起こしてやっと実感ができました。歩きながら微高低差を感じる事ができても地図を見なければ全体像を把握し切れません。建物が低く疎らな江戸時代ならば谷間を感じられたかもしれません。
この地辺りの住所にもなっている西ヶ原を横断するルートです。

石神井川が崖線を突き抜ける前の流路を歩きました。人が生まれる前から浸食され続けた台地には見事なまでの水の道ができています。ただ、歩いている時は建物が邪魔になり谷間を感じ切れません。
地形図とGPSの軌道を見て谷間を横断して東側の崖線上に登るルートを歩いた事を認識できました。

谷間から崖線へ登る入口は熊野坂です。江戸時代からある坂で現存する不動院境内にあった熊野神社が名前の由来になっています。水平距離約80m、高低差約6m、75‰程度の緩やかな坂です。

台地を東へ横切ると江戸時代に日光御成街道(岩槻街道)と呼ばれた本郷通に出ます。ここには街道の西ヶ原一里塚が道路の中央に残されています。一里は約3.9kmです。
日本橋を始点として本郷一里塚が一里目、西ヶ原一里塚は二里目です。
中央には二本松保存之碑があります。大正時代に都電建設で壊される予定だった塚を渋沢栄一をはじめ住民運動で食い止めました。大正11年に国指定史跡になっています。

本郷通から東の崖線の高いところに七社神社はあります。江戸時代には一本杉神明宮がありました。七社神社は現在の旧古河庭園にあった無量寺境内にあった七所明神です。神仏分離令で明治2年にこの地に移されました。

創建年などの神社に纏わる情報は不明です。七所明神は寛政5年(1793年)に火災で焼失しました。建物は翌年に建て直されましたが古文書や古記録を失われて仕舞いました。

境内にある旧一本杉神明宮社地です。建物こそ新しいのですが玉垣(神社にある石柵)はかなり古いものです。手前には古い手水舎と思われる石桶があります。歴史を感じさせる一角です。

何と言っても見事だったのが大イチョウです。12月初旬に訪れたため黄色くなっていました。ちなみに街道から見えた一本杉は枯れてしまい明治44年に切株を残し伐採されています。
七社神社の標高は23m台後半で熊野坂の坂上から神社まではほぼ平坦でした。
つづく…ほいじゃ
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