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名もなき小川【東十条・王子・駒込フィールドワーク(東京スリバチ学会)】⑯

時の流れの中で川は流路を変えたり消えたり現れたりします。東京都区部の多くの川は暗渠化されて見えなくなっています。人工的に流路を変えられた川は数知れません。

東京都北区中央公園から水が流れていたことはほとんど知られていません。『川の地図辞典』に描かれていた流路をカシミール3D上に写してみました。
kitakuchuopark-002.jpg
明治43年から昭和35年までの地図に何らかの形で川の流れが描かれています。陸地測量部が作った明治43年の地図が一番はっきりとこの名もなき川が描いています。

この5年前(明治38年)に陸軍の軍事工場である東京砲兵工廠が作られました。

一般的に考えて建設時に土地改良が行われますが、等高線を見る限り元々の地形を活用して工場が作られた様です。なぜなら、滑らかな曲線を描き等高線が並んでいます。
東京都北区中央公園
さて、水の流れを追って行きます。水は現在の北区中央公園運動場から流れていた様です。当時から周囲よりも一段低い窪地があったことが地図からも分かります。古くから水の通り道で浸食された土地の様です。
北区王子本町3丁目9~10
中央公園を南側に進むと東西方向に小規模な崖線があります。水の流れはこの崖面を小さく蛇行をしながら下って行きました。明治43年の等高線でもこの崖面は描かれています。

ちなみに現在の王子本町3丁目と十条台2丁目はこの小さな崖線が境界になっています。

別の見方をすれば石神井川の河岸段丘とも読み取れます。この小崖線より南側は太古の時代に石神井川の氾濫原だった可能性があります。
北区王子本町3丁目9~10
水は現在の王子本町3丁目10番を南北方向に流れていました。この辺りに道路を歩くと微高低差を感じることができます。また、微高低差のあるスリバチ地形になっています。

この流れは現在ある道路に沿って流れた推定されます。そして、加賀学園通りを超えていきます。

最初のカシミール3Dの図に戻ります。小川は大通りを超えると現在は住宅地になっている辺りを大胆に横切っていました。そして、再び別の道路に沿って蛇行しながら流れ石神井川に注ぎました。

丁度、音無もみじ緑地の湾曲した旧河道と合流します。

公園内の水源とされる辺りは標高にして19m台、石神井川に注ぐ辺りは14m台です。約360mの間に高低差約5mの小規模な小川でした。疑問が残ります。

江戸時代の古地図、明治初期の地図にも登場しないこの流れはなぜ明治43年の地図から登場するのでしょうか。仮説を考えてみました。

1、明治後期以前の地図が不正確(実際にその傾向はある)
2、余りにも小さな流れで描かれていない
3、軍事工場の排水路として小さな流れを拡張して作られた
4、軍事工場の排水溝として人工的な水路を造った
など

名もなきこの川に興味が絶えません。この様に一隅を照らすのも街歩きの醍醐味かもしれません。

つづく…ほいじゃ
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