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過去、現在、未来~石神井川【東十条・王子・駒込フィールドワーク(東京スリバチ学会)】⑫

渓谷ができるほどの流れとは何だろうか?東京都北区にある音無渓谷は都会とは一線を画した場所です。人が生まれる前から脈々と続く地形の変化の仮定を見ています。
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地図を見れば一目瞭然です。元々は平らな武蔵野台地の東端が石神井川の流れで浸食され崖線を残し流路を東から南東へ流れがありました。

崖線を突き抜ける前は不忍池へ流れる谷田川と接続していました。ある時から崖線を突き抜けて隅田川へ直接流れる様になりました。

これが人為的なのか自然現象なのか議論は絶えません。一つ言える事は人為的な要素があったとしても水は崖線を痩せ細らせたという事です。
石神井川 王子付近(北区)
江戸時代の古地図を見ると崖線を抜ける辺り(王子神社と飛鳥山付近)で3本の流れに分流されていました。上郷用水、石神井川、音無川です。

上郷用水=北上する用水路(途中で分流)
石神井川=隅田川へ直結する流れ
音無川=日暮里方面へ向かう流れ
石神井川 王子付近(北区)
昭和33年の狩野川台風で起きた洪水で改修され飛鳥山分流路が造られました。そして、昭和50年前後に護岸工事が行われ都市でありがちな川へ変貌しています。遊歩道と深いコンクリートに囲まれた川は味気がありません。

また、下水道が整備される前は汚染がひどかったでそうです。

人口が多い都市では下水道の整備により衛生を治水工事により安全を担保し都市機能を維持させる宿命があると言えます。しかし、人情として自然の川に憧れて仕舞います。
石神井川 王子付近(北区)
私は現代の写真を残したいと思っています。それは利己的な野心というよりも未来への手紙の様なものです。未来人が「昔はこんな感じだったんだな~」と思ってもらえたら幸いです。

今から100年後、500年後、1000年後には想像もつかない風景があるのでしょうか。それとも地形という原型が元になって継承されて行くのでしょうか。

江戸東京は徳川家康が江戸に入ってからの16世紀から17世紀、明治から昭和の発展があった19世紀から20世紀が変化の特に激しい時代でした。

東京はいつ、どの様に変わって行くのか現代人の私たちには知る由もありません。

つづく…ほいじゃ
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