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王子稲荷の坂から王子神社へ【東十条・王子・駒込フィールドワーク(東京スリバチ学会)】⑩

はぐれたのは今回が初めてではありません。王子稲荷を出た所で東京スリバチ学会のフィールドワークの一行はいなくなっていました。王子稲荷の坂下にいた人に聞き込みをすると集団を見ていないと言いました。

きっと坂上に向かったのでしょう。地図を見ました。石神井川へ向かったのは確かです。坂を登って上流に向かったとしたら下流側から行けば高い確率でまたで会えるでしょう。
ohji_fukan1-001.jpg
逆に下流側から石神井川を遡ったとしてもハイペースで歩けばどこかで追いつくでしょう。昼休憩は王子駅なので必ず合流できます。石神井川を下流側から攻める事にしました。

カシミール3Dで地図にまとめてみると改めて歩き涯のある道だった事が分かります。
王子稲荷の坂(北区)
集団に合流する事が一つの目的ですが、街と地形を楽しむことは最大の目的です。王子付近の崖線を味わいながら歩きました。旅は分かれと出会いです。

聞き込みをしながらも「王子稲荷の坂」を堪能していました。約100mで約17mの標高差がある坂です。
上郷用水跡
坂下に戻り「上郷用水」があった道を歩きました。現在は暗渠化されています。石神井川のから分かれ王子神社の横を通り王子稲荷神社前を流れていました。

流れは名主の滝公園を過ぎるとJRの線路を潜り分岐されながら隅田川と合流します。
権現坂(北区)
崖線の法面にある交差点に出ました。「権現坂」です。かつて王子権現と呼ばれた王子神社へ続く道です。坂の途中で王子大坂が分岐します。

その道は日光御成道、別名岩槻街道と呼ばれる江戸時代の街道です。
王子神社(北区)
坂を堪能し過ぎると集団に合流できなくなります。一気に登り王子神社へ行きました。創建年は不明ですが源義家の甲冑が納められた故事があり平安時代には存在した可能性があります。

室町時代には領主の豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を勧請され王子という地名が生まれました。

戦国時代には後北条氏も信仰していました。徳川家康が江戸に入ると1591年に祈願所とし二百石を与えました。1634年に徳川家光が王子稲荷と伴に社殿を造営しました。
王子神社の大イチョウ(北区)
昭和20年で社殿や木々が焼ける中で「王子神社のイチョウ」は残りました。幹回り6.36m、高さ19.69mの立派な出で立ちを見ると戦前の緑豊かな境内が想像できます。

戦後は昭和39年に復興し現在の社殿は昭和57年に建替えられました。

王子神社の横を下る道を見付けました。歩いて行くと深い谷間に導かれます。

つづく…ほいじゃ
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