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戦争と広瀬川【水が奏でる前橋の魅力を発見しよう!(前橋市+東京スリバチ学会)】⑦

前橋市のシンボルと謳われる広瀬川は光だけでなく影の部分も私達に見せてくれます。陰陽が織りなす時間と空間こそ真の歴史と言えます。

前橋市と東京スリバチ学会の開催で行われた「水が奏でる前橋の魅力を発見しよう!」で焦点が当てられた前橋史を語る上で外せない広瀬川です。
前橋空襲追悼碑 広瀬川(前橋市)
【比刀根橋近くの防空壕があった場所に作られた前橋空襲追悼碑】

前回まで古代から昭和前期までの広瀬川と前橋史について書きました。今回は太平洋戦争です。

1929年の世界恐慌を機に広瀬川沿いで繁栄した絹産業が衰退期に入りました。同時にきな臭い時代へ突入して行き1941年に太平洋戦争が勃発しました。

終戦間近の1945年8月5日、前橋大空襲に見舞われ535人の尊い命が奪われました。市街の中心を貫く広瀬川沿いは焼野原になりました。
戦災概況図前橋
上の地図は国立公文書館のデジタルアーカイブ「戦災概況図前橋」です。

米軍による初期の空襲は軍事ターゲットと目標とする高度8000~10000mからの爆撃でした。1945年1月にドイツで絨毯爆撃に実績があったカーチス・ルメイ少将が着任してから様相が一変しました。

夜間に高度2000mから行う無差別爆撃の始まりです。

前橋市内には中島飛行機の前橋第一工場、第二工場がありましたがターゲットではありませんでした。焼夷弾による市街地を焼失させる絨毯爆撃だった様です。

市街地が重点的に焼けた事が「戦災概況図前橋」から分かります。

正直に言うと前橋大空襲の事はこの記事を書くまで知りませんでした。前橋に何度も言っているのに想像すらしていませんでした。

つづく…ほいじゃ
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