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交水堰と前橋史【水が奏でる前橋の魅力を発見しよう!(前橋市+東京スリバチ学会)】⑤

ほとんど水が流れていませんでした。本来なら水勢と生み出される音で一同を魅力するはずのスポットでした。この日は点検日という事で川底の一部が見えていました。

前橋市と東京スリバチ学会が開催したフィールドワークは最大の見所「交水堰」へ到着しました。予想外の光景に戸惑いを隠せませんでした。
交水堰 広瀬川(前橋市)
東京スリバチ学会の皆川会長曰く、イタリア人に「ここは川ではない滝だ」と言わしめた所でした。前橋市民の方は水量の凄さを知っていたでしょう。

しかし、県外からの参加者は想像するしかありませんでした。一般的に水量のある川は人が近れない様に河岸工事が施されています。
交水堰 広瀬川(前橋市)
良かった点を挙げるなら普段は気付かない場所に気付けたことです。川の横にぽっかりと空いた2つの穴です。何でしょう。

普通に考えれば暗渠となった川の合流口です。

昔、製糸工場があった場所なので取水口なのかもしれません。真相は分かりません。悪い事の裏には良い事も必ずあるものです。人間万事塞翁が馬…。
交水堰 広瀬川(前橋市)
前橋市の活性化と広瀬川に焦点が当てられたフィールドワークに理由があったと分かりました。この川は前橋の歴史と切り離せない存在なのです。

交水堰は開国から世界恐慌までの期間に前橋が潤わせた絹産業を象徴する場所のひとつなのです。交水堰は工場用水を取る場所だったと言われています。現在は大正時代の改修後の姿を見る事ができます。
交水堰 広瀬川(前橋市)
日本の絹産業が幕末から昭和前期にかけて主要輸出品となるきっかけはイタリアとフランスで繭の病気(微粒子病)が広がり欧米で品薄になった事でした。

明治維新直後にスイス人を招き指導受けたり、イタリア式の器械を日本で初めて導入しました。そして、明治3年に日本初の機械式製糸工場「前橋製糸場」が開業しました。

改良と改善を行った結果、前橋産の品質は「Mybashi」又は「Maibashi」ブランドとして世界で知られる様になりました。品質に良質の水が起因していた事は言うまでもありません。

「交水社」は1877年(明治10年)に「広瀬組」として開業し1960年(昭和35年)に幕を閉じた会社でした。「交水堰」はこの会社が工場用水を取水した場所だったと言われています。

それまで伸びていた日本国内の絹産業は世界恐慌を機に衰退を始めます。前橋も相当の打撃を受けたことでしょう。

1929年(昭和4年) 世界大恐慌で生糸と繭が大暴落
1938年(昭和13年) 米デュポン社によるナイロンの発明
1941年(昭和16年) 米国で蚕糸業統制法制定、太平洋戦争

戦後は外貨獲得のために養蚕が奨励されました。昭和30年代をピークに絹産業は再び衰退していきました。ちなみに群馬県は昭和29年から現在に至るまで全国1位の生産量を誇っています。

広瀬川と前橋の歴史はこれだけではありません。

つづく…ほいじゃ
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