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駒林はスリバチ「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」(25)

駒林はスリバチでした。駒林とは現在の日吉本町にあった昔の地名です。東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」では台地の縁を行き全体像に気付きませんでした。

カシミール3Dで作った絵を見て気付きました。
駒林神社(横浜市)の谷戸
かつて谷戸の風景があった場所です。明治42年陸地測量部の地図では古から続く村の営みが描かれていました。台地から流れる水と崖から出る湧水を活用した崖沿いの住居地区がありました。
駒林 明治42年
低地帯には田んぼが広がっていました。台地は里山として活用されていた様で日吉村は桃のなどの果物生産が盛んな地域でした。

この辺りの生態系は分かりませんが、唱歌の「ふるさと」に出て来る様な風景だったと想像しています。
駒林神社(横浜市)へ登る
古地図を見ると傾斜地に家はありません。高度成長以降はベットタウンの必要性から斜面を改良し所狭しと住宅が建てられています。

ただ、土砂崩れハザードマップに載っている地区もあり今でも改良を進められている様です。
駒林神社(横浜市)
駒林神社は斜面に築かれた中駒林村天神社と呼ばれた神社でした。初めて記録に登場するは1494年(明応3年)で金蔵寺の覚書です。神社はそれ以前からあったと考えられています。

当時は中村天神社という名前でした。

江戸時代の1804年から1829年に編纂された新編武蔵風土記稿にも登場します。中駒林の鎮守だった事が記載されています。明治15年に天照大神と天満大神を合併して「駒林神社」となりました。

大正14年には近隣の八幡社・十二天神社・熊野神社・妙義山神社を合併しています。港北区下田町の下田神社も同じ様に合併して生まれた経緯がありました。

実に興味深い共通点です。

現在の姿は慶応大学から買い取った土地と合わせ昭和37年に整備されたものです。また、境内に江戸城外濠の廃石を譲り受け使っている場所があります。
駒林神社(横浜市)横を登る
駒林神社を後にした一行は再び台地を登りました。そして、すぐに下りました。東京スリバチ学会らしい傾斜を好むルートでした。

ここから先は金蔵寺の回に書き終わっています。「日吉フィールドワーク」はここでお終い…

としたい所ですが、付随して進めている調査といくつかの宿題を残して仕舞いました。故に…

つづく…ほいじゃ
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