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素敵な坂道と沢跡?「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」(24)

魅力的な坂道と出会いました。低地へ下る閉塞感のある道です。台地を横断していた東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」は下りに入ります。

日吉本町のかつて駒林と呼ばれた地域を進みました。
hiyoshi_fukan_shimoda2.jpg
駒林は日吉町が生まれる前に存在した地名のひとつです。江戸時代には上駒林、中駒林、下駒林と3つの地域に区分されていました。

明治時代になると駒林上組、中組、下組と名を変えています。
駒林 明治42年
高台をランドマークとして3つの地域に区分けされていた様です。今回、通った坂道は中組の端に位置しています。明治42年の地図にもこの道が描かれています。

典型的な谷戸の風景だと言えます。

台地を里山として利用し、台地の際に住居を置き、水が豊富な低地を田として活用していた様です。
日吉本町 駒林 沢跡
最初は等高線を少しずつ横断する比較的緩やかなルートに道が曳かれていました。坂上の標高は約29mでした。通りに出る所は標高7mあります。

水平距離約175mを22m下る平均125‰の勾配です。
日吉本町 駒林 沢跡
坂の途中に骨組みだけの家がありました。倒壊し掛けの建物と言うよりは建設途中で放置された様に見えます。様々なストーリーが思い浮かびます。

想像力を掻き立ててくれる半建築物です。
日吉本町 駒林 沢跡
一ノ谷の戦いかと思わせる急な斜面です。地図が大体の数字を拾うと「標高13.0m→11.2m、水平距離約10m」の階段でした。

斜面を斜めに下る様に階段は作られているので180‰と傾斜はそれ程ではありません。しかし、階段がなければ崖です。
kamabayashi4-001.jpg
「こんな、不自然な道はおかしい…」、調べると昔の道は崖を垂直方向に下るのでなく、真っ直ぐと伸びていました。現代の地図に昔の道を描いてみました。

大体ですが上記の様になります。等高線を斜めに超えながら下る坂道でした。
駒林 昔の道
さて、現代の道を辿ると自然が作り出した様な曲線を描いています。耳を澄ますと水の音が聞こえます。もしかしたら、ここに小さな沢があったのかもしれません。
日吉本町 駒林 沢跡
ここのマンホールは横浜市のロゴだけで文字は書かれていません。水の音はこの下から聞こえた気がします。湧水?又は沢?が暗渠になったのでは?

明治42年のこの辺りは建物が1軒あり、現在、道があるところは敷地の一部でした。

家に湧水が流れている…フィールドワークの参加者達は箕輪町で見たはずです。昔は珍しいことではなかったのかもしれません。

台地の際に集落が広がっていた理由もこれで分かる様な気がします。

つづく…ほいじゃ
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