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駒林・水の流れ「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」(23)

水は素直です。低い所、低い所へと流れます。台地を削り痕跡を残します。東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」はかつての水の流れを超えて行きます。

日吉村が生まれるずっと昔から「駒林」と呼ばれた地に足を踏み入れました。
松の川緑道(横浜市港北区下田町)
井田山の斜面にある下田神社を下り、谷戸を横断しました。「松の川緑道」と少しだけ合流しました。この谷を削った川の跡です。
松の川緑道(横浜市港北区下田町)
かつて谷戸の田を潤した松の川は暗渠となり面影はありません。日吉台と井田山の間を蛇行しながら流れた川筋は遊歩道として整備されています。
松の川緑道から丘へ(横浜市港北区下田町)
松の川を堪能する間もなく台地へ登りました。水平距離約90mを高低差約13mある144‰の坂でした。登り終えると標高32mの道にでます。
川跡?(横浜市港北区下田町)
100m弱はほぼ平坦な道が続き、標高27mまで一気に窪みまた登りになっています。かつて水の流れがあった場所だと見た目で分かります。

明治時代の地図にも載っている古い道です。
川跡?(横浜市港北区下田町)
最も窪んだ場所から台地の高い方を見ました。建物が邪魔して地形が凸凹が分かりません。手前には「おすい」と記されたマンホールがありました。

下水道は自然の傾斜を使い流すため、昔の沢が利用されている可能性があります。
川跡?(横浜市港北区下田町)
台地の低い方角を見ると慶応大学のテニスコートです。土地は改変されスリバチになっていました。沢は斜面を下り松の川と合流していたのかもしれません。

ただ、古地図で川は確認できません。小さな流れだった可能性はあります。
hiyoshi_shimoda1-001.jpg
調べて行くと丁度道路の窪み辺りが下田町と日吉本町の境界線でした。一般的には川を境界線にするケースもあるので一つの沢があった根拠となります。

上流部(地図の左側)を見ると少しだけ蛇行しています。短い沢だった可能性があります。
shimoda_sakai1-001.jpg
明治42年の地図によるとテニスコートと慶応大学下田寮の辺りは谷間になっていた事が分かりました。元々あった谷間を造成して今の様になったと考えられます。

等高線が表す窪みから水の通り道だった事はほぼ確実です。
駒林 明治42年
ここまで通って来た台地は明治42年の地図に「駒林中組」と書かれています。「駒林上組」、「駒林下組」という地名もあります。

特徴的な点は地名は地図上の高い所に記載されています。。

台地をランドマークとして地区を分けていたのでしょう。そして、台地の裾に居住地を置き、低地を田として利用していたと地図は語っています。

つづく…ほいじゃ
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