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下田神社と古の営み「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」(23)

風景は一変。かつて井田山と呼ばれた場所に造成された新興住宅地「さくらが丘」を過ぎ、谷戸へ下り始めると整然とした街並みは途絶え一昔前の風景に変わりました。

東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」は川崎市中原区井田町を後にして横浜市港北区下田町に入りました。
さくらが丘から下田神社へ(神奈川県)
道中は昨今の風景が走馬灯の様に止めどもなく現れては消え、消えは現れました。街(町)は人間の化身の様に感じます。人間の心が実体化された風景です。

個人と大衆のニーズや欲望、時に限界が町という形なって実体化しています。また、新しいものと古いものが同居する織物の様でもあります。
komagabashi2.jpg
明治42年陸地測量部の地図を見ると下田町は駒ヶ橋という地名でした。源頼朝がこの地を通った時に谷戸に流れる松の川を馬(駒)を橋替わりにして渡ったという伝説が残っています。

上組、下組と地域は細分化され、それぞれに村の鎮守があったことが地図から分かります。
下田神社(横浜市)
下田神社は傾斜地に立地しています。元々、熊野神社の敷地でした。上組の「天照大神」、下組の「熊野神社」と熊野神社境外末社「天満宮神社」が昭和45年に合併しました。

天照大神跡は現在「下田町会館」と児童公園になっています。
下田神社(横浜市)
町名から下田神社と命名されました。神社の案内板によると創建年は宝暦年間(1751~1763年)となっています。推測ですが熊野神社の創建年だと思います。
下田神社(横浜市)
合併した際に各神社から鳥居を譲り受けています。参道の石段上にある「天保二年九月吉祥日奉納」※と彫られた石鳥居は熊野神社にあったものです。

※天保2年は1831年
下田神社(横浜市)
石段下の石鳥居は「明治三十一年一月吉日奉納」と彫られており天照大神にあったものです。三社の合併は地域の悲願だったと書かれています。

経済用語で表せば友好的M&Aとでも言えるのでしょうか。
下田神社(横浜)庚申塔
下田町自治会のホームページから下田神社の紹介ページに辿り着きました。境内に近くを通っていた旧鎌倉街道の駒ヶ橋の橋桁が保存されいる事を知りました。

今は暗渠となった谷戸を流れていた松の川に架かる橋でした。

境内の奥に祠の並びに「北向庚申社」が鎮座されていました。庚申塔と言えば街道沿いを思い浮かべます。旧鎌倉街道と関係があるのでしょうか。

新たな疑問点が次々と浮かびます。

Wikipediaに特徴を示す面白い記述があったので引用します。
-------------------------
古道・鎌倉街道の特徴

なるべく平坦な直線距離を取る。
見晴らしがいいように丘陵や台地、微高地の尾根を通る。
-------------------------

旧鎌倉街道は見晴しを重視し日吉台や井田山を通るルートを選んでいたと考えられます。

下田町は古の営みを今に残す場所でした。

ほいじゃ
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