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向方の消えた小山「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑯

ギリギリでした。最後の500mをダッシュして信号待ちしている集団に追いつきました。東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」ではぐれため、昼休み中に見れなかった所を歩きました。

日吉台の際を歩き続け、斜面を登り下りしていたら休み時間が終わって仕舞いました。
箕輪町1丁目の谷戸へ下る坂
最後に訪れた場所は最初に訪れた箕輪町一丁目の谷戸を見下ろせる場所です。200‰の急勾配に所狭しと並ぶ住宅群が印象的でした。

今は標高37~38m台の台地ですが明治42年の陸地測量部地図では40m以上あった辺りです。
箕輪町1丁目 谷戸方 明治42年
ヤマコレというサイトに参加者が掲載したルートがありました。箕輪町1丁目の谷戸まで良かったのですが、その後は全く違うルートを歩いていたと分かりました。

明治、大正時代に「谷戸方」と記された谷戸を出た後は隣の「向方」を彷徨いました。
箕輪町一丁目 綱島街道裏の横道
「普通の道を歩いても面白くないだろう。」綱真街道に出ずに舗装されていない裏道を選びました。子供の頃にさびれた道を選んで歩いた事を思い出します。
箕輪町一丁目 向方の坂
高台に続く坂を付けました。古地図では向方と記載された地域です。この坂の上には標高45m台の小山があった所です。今は17~18m台に均されています。
箕輪町一丁目 向方の坂
元々あった谷間に惹かれた坂道を踏襲している様です。右手は崩され勾配はほぼなくなっていますが、左手は昔からある標高30m台の台地が残っています。
箕輪町一丁目 向方の坂
坂を登り切ると藤和ライブタウン日吉があります。バブル前夜に造られた高台のオシャレな街並みです。昔あった小山と谷間も面影はもはやありません。
東海道新幹線高架横 日吉5丁目
その後、向方を一旦下り、台地の際を歩き続けました。知らぬ間に箕輪町1丁目を過ぎ日吉5丁目に入っていました。斜面を見付けると登ってみましたが悉く行き止まりでした。

昼休みのタイムリミットが迫り焦りが出た結果です。気付くと東海道新幹線のトンネル手前まで来ていました。
日吉5丁目 慶応大学裏の階段
崖上に登る階段が現れました。明治時代初期の地図にも載っている細い道です。右手のトンネルが通された辺りは昔の地図に「山欠」と記されています。

地名にある「欠」はかつて自然災害があった証拠です。
日吉5丁目 慶応大学裏の階段と祠
崖の途中に神社がありました。神社庁のホームページで検索しても出て来ません。ネットで検索しても情報はありません。不思議な雰囲気を持つ祠でした。
日吉5丁目 慶応大学裏の階段
階段は100m程で30mの高低差があります。雨で暗くなった300‰というきつい勾配を登って行きました。休み時間が終わってしまう!時間がない!
箕輪町1丁目、日吉5丁目で彷徨う
GPSは便利です。ボタンを押せば私が辿った軌跡を記録してくれます。この彷徨いは何か意味があったのだろうか?ほとんどが無駄打ちだった気がします。

後で復習してみると土地は改変され、昔からの地形はごく一部しか残っていませんでした。

向方で特に驚いたところは45m級の小山が崩され17~18m台の平坦な土地になっている事でした。残土は一体どこへ行ったのでしょうか?

箕輪町1丁目は高度成長期前には今よりもワイルドな地形だったと知りました。いつか、3Dで再現できれば面白いと思います。

東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」も午後の部に入ります。

今回、行けなかった箕輪町1丁目の谷戸奥のスリバチ、熊野神社、まむし谷と保福禅寺、矢上川はひとりで訪れてみます。

つづく…ほいじゃ
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