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谷戸方と呼ばれた所「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑮

都市に存在する軸線を変えて見ると別の顔が現れます。現代の都市形成において幹線道路、鉄道(駅)が軸になり自然的、時に人工的な発展をみる事ができます。

昔の姿を紐解く時、手がかりになるのが地形、古道、古い字名(あぜめい)です。

東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」の昼休みにひとり箕輪一丁目の谷間に迷い込みました。
箕輪一丁目(横浜市) 谷戸方
高度成長期の横浜市港北区日吉と箕輪は南北を貫く東横線と綱島街道に軸線になり横方向に宅地化が進んだと考えれます。大正15年(1926年)に日吉駅が開業して以降の姿です。

それ以前の姿はどうだったのでしょう。

箕輪1丁目をカシミール3Dで角度を変えながら観察すると南北より東西のラインが目に留まります。

箕輪町は縄文時代から人の営みがある場所です。箕輪一丁目も同様です。慶応大学がまとめた情報によると周囲の高台から遺跡が発見されています。

図の左奥(北側):集落跡 【弥生後期、古墳以降】
図の奥(東側):集落跡 【弥生後期(欠山遺跡)】
図の右奥(南側):散布地、古墳 【縄文早期、弥生後期、古墳】
箕輪町1丁目 谷戸方 明治42年
江戸時代は武蔵国、明治以降は神奈川県(たちばなぐん)箕輪村でした。明治42年の陸地測量部地図によると箕輪1丁目に「谷戸方」という字名が記されています。

昭和初期までこの字名は地図に記載されています。

また、谷間の二股に分かれた道は現在も生活道路として残っています。箕輪村全体の土地利用は谷の奥と台地の周辺に集落と果樹園が形成され、谷の出口から低地に向かい田が広がっていました。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方1
箕輪町一丁目の谷戸に足を踏み入れました。まず気になった場所が北側の斜面です。写真にある階段は谷の上からのみアクセスできる道です。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方2
その横に台地がむき出しになった斜面がありました。Googleのストリートビューで確認すると2009年9月時点では建物がありました。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方3
谷底の道から外れ古地図にも載っている一段高い道を選びました。北側の斜面には谷上へ導いく3本の道が伸びています。20m程の高低差があります。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方4
逆に谷底の道を見下ろすと勾配差が一目で分かる地形です。標高差にして7m程度あります。昔は雨水を谷底に集める水路があったかもしれません。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方5
少しずつ地形は険しくなり道路を横切る切れ込みを見付けました。排水路だと思われます。斜面から流れる雨水を一ヵ所に集める施設でしょう。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方6
谷間を素直に進むと行くと最深部付近の藤和日吉ホームズに着きます。背後は崖です。建物は高台にあり一段下には小さな公園があります。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方7
公園から谷底のラインを眺めると三方を高台に囲まれた2級スリバチ地形であることが分かります。建物が少なかった頃の風景が見たいと思いました。
箕輪町1丁目(横浜市) 谷戸方8
帰りは南側の斜面を行きました。コンクリートウォールが織りなす高度成長期を象徴するランドスケープです。古から続いた生態系はもうないのでしょう。
箕輪町1丁目俯瞰図(横浜市)
谷戸方の入口は標高約10m、藤和日吉ホームズは標高約20mです。一つ残念だった事は標高19mから38mまで登る最深部の道を行けなかった事です。

そこには小規模ながら四方をほぼ囲まれた高低差約20mある上級スリバチ地形が存在しています。
箕輪町俯瞰図(横浜市)
箕輪町は多く語られる場所ではありません。しかし、調べて行くと不思議な魅力を感じます。それは地形であるのか、語られていない人の営みなのか分かりません。

箕輪町の俯瞰図を作りました。

ひと言で表すと東西に広がる湾です。縄文海進の頃は海辺だった事を考えれば谷戸方(箕輪1丁目)は船を泊めるのに最適な場所です。縄文人は漁をしたかもしれません。

高台からは権力の象徴である古墳が発掘されています。

向方へつづく…ほいじゃ
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