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日吉神社と作られる歴史「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑫

低地に一点残る台地の上を目指しました。東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」の集団からはぐれた地元の方1名と私は先回りして日吉神社へと向かいました。

慶応大学のある日吉台を下り低地の向こうにそびえる矢上台を目指しました。
矢上台(横浜市)
矢上台は下末吉台地の名残でしょう。カシミール3Dで作成した図を見ると元々は台地を貫くように削られた谷戸の北東に続く斜面だった様に見えます。

北東の崖は何らかの理由で崩壊して孤立したと考えられます。

丘上は標高25m台で大部分が慶応大学工学部の敷地になっています。観音松古墳をはじめ縄文早期から古墳時代頃の遺跡が2箇所から出土でしています。丘の下にも遺跡が1箇所出土しています。
日吉神社(横浜市)
古くから人の営みがあったこの丘に日吉神社はあります。切り立った参道の階段下は標高約8.5m、階段上は24.5mあります。水平距離は約50mなので320‰の急勾配な階段です。
日吉神社(横浜市)
大正14年に日吉町が誕生する前は明神社と呼ばれていました。由緒によると創建時期は不詳です。祭神である天照大神は昭和51年(1976年)に鎮座二千年を祝った伊勢神宮から勧請されました。
日吉神社(横浜市)
雨に和の風景は合います。濡れた木々、石畳、土の色がしっとりした雰囲気を醸し出しています。フィールドワークの一行もまた他の人影もなく閑静な場所でした。。
日吉神社(横浜市)
25m台の矢上台から眺める日吉の風景は、建物が密集するがゆえに地形の凹凸を容易に想像させてくれません。一旦、建物がない姿を想像できると起伏が織りなす地形を認知する事ができます。
日吉神社(横浜市)
日吉神社は昌平坂学問所が文化・文政期(1804~1829年)に調査、編纂した「新編武蔵風土記稿」に登場します。「矢上」は元々「谷上」と書いたとも記されています。

ちなみに神社の略歴です。

天明5年(1785)修造
昭和11年(1936)本殿、幣殿、拝殿を改築
昭和14年(1939)社号を「日吉神社」と改める。
昭和51年(1976)社殿を修復、天照大御神を勧請。
矢上天神社(横浜市)
歴史は今も作られています。本殿横に2002年創建の矢上天神社があります。菅原道真公の没後1100年にあたり大宰府天満宮から分霊を勧請されました。

天神様を敬う日吉神社です。

歴史は掘り起こすものに感じます。しかし、今生きている私達も歴史を作っています。数百年後には今生まれたばかりの天神社も歴史として語られます。

ただ、物理的な物はなくなる可能性も秘めています。

だからこそ、記録することが重要です。未来に住む私たちの子孫へ届ける手紙です。私もそんな端くれであり続けたいものです。

つづく…ほいじゃ
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