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浮かび上がる谷間とスリバチ「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑭

昼休み返上しました。東京スリバチ学会の「日吉フィールドワーク」で一行とはぐれました。見落とした場所があったため歩き続けました。

始めは一行が通った軌跡を踏襲しようと考えていました。

しかし、実際に歩き始めると新たに気になる場所が出て来て別プロジェクト化して行きました。
綱島街道 日吉
日吉駅前の綱島街道と周辺の不自然さが妙に気になりました。街道は日吉台をほぼ直線で貫いています。自然な地形でない事は明らかです。
綱島街道と日吉駅
明治42年の陸地測量部が作成した地図によると綱島街道が通る前は北と南にそれぞれ谷間がありました。谷間は蛇行しています。
日吉駅と綱島街道

明治時代と現代の地図を見比べて分かるか事は基本的な台地の構成は残しつつも土地の改変により一部で過去の姿は見る影も無くなっています。

特に南北の谷間です。違和感を一番感じた場所が綱島街道沿いのファミマの横にある窪地です。
日吉4丁目
道路から一気に建物1階分程度、土地は低くなっています。わざわざ掘ったという推理はコストパフォーマンスの点からほぼあり得ません。

綱島街道沿いの地形の今昔を整理しました。

1、現在線路と道路がある辺りに北側の谷間があった
2、南側には斜めに切り込む二股の谷間があった
3、南側の谷間の入口には溜池らしき窪地があった
4、30m台の日吉キャンパスに昔は40m台の高台(2箇所)があった。

北側の谷間と現キャンパス内は東横線開通(1926年)、慶応大学日吉キャンパス開校(1934年)によって大幅な土地改変が行われた様子です。
日吉(横浜市) 高度成長期前
南側の谷間の入口にあった池は高度成長期前まで残っていました。ファミマの隣にある十字型の東京・スチューデントハウス日吉台がその位置にあたります。

池は埋め立てられ基礎部分が高くなっています。

その先に続いたはずの二股に分かれた谷間は慶応大学の陸上競技場と協生館となり一つの窪地に改変されています。(四方囲まれた一級スリバチか!?)
日吉 ファミマの窪地
2つの谷間が存在したと思われるエリアで盛土の形跡がある箇所を整理しました。また、時間軸の流れを考慮して盛土が行われた経緯を「推理」してみました。

1、綱島街道と鉄道の勾配調整するため崖を崩し盛土した。

2、慶応大学の敷地内の工事で出た土を使い現スチューデントハウス(十字型)と陸上競技場の間に盛土して道を通した。

3、ファミマの北側(図では右側)
池を埋め立てスチューデントハウス(十字型)建設した。池の淵は崩壊を防ぐため以前からある程度は盛土されていたと推測する。

街道とのアクセスを考え基礎部分を盛土したと考えられる。

4、ファミマの南側(図では左側)
街道沿いからアクセスできる土地を造成した。街道との高低差が少ない所で造成を行った。ファミマとその横のマンションは高低差が6m程ありできなかったと推測する。

尚、建造物による嵩上げか盛土によるものかは未確認。(国土地理院の5mメッシュデータでは地盤と判断されている。)



ファミマの窪地を見付け調べた結果として、かつてのあった谷間が浮かび上がりました。人工的でありながらもファミマの窪地は三方向を囲まれた二級スリバチと言えます。

ファミマの窪地を回り込み入った所はその昔に「谷戸方」と呼ばれた土地でした。

次のスリバチ探索へつづく…ほいじゃ
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