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ミステリアスな箕輪3丁目「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑨

谷に神仏が祀られている場所です。景谷山東観寺大聖院がある横浜市港北区箕輪3丁目です。大聖院という文字を見てまず思い浮かべるのが宮島(厳島)の谷下に築かれた寺院です。

弥山(みせん)登山で大聖院ルートは最も厳しいコースです。

以前、思い付きで登り天国と地獄を見ました。日吉の大聖堂は規模が小さいものの裏側は傾斜のあるスリバチ地形です。
横浜市港北区箕輪3丁目
日吉一帯では縄文、弥生時代の遺跡が発見されており太古から人の営みが続く場所です。2001年に日吉台の丘の先端部で「箕輪洞谷(どうこく)横穴墓群」と呼ばれる7世紀頃の横穴式墓地が発見されました。

「箕輪洞谷」とは昔からある地域の呼び方です。
大聖院(横浜市港北区日吉)
本当に情報が少ない寺院です。「ミステリアス」という感は否めません。訪れた人が書き記した少数の簡単なブログしかありません。背後のスリバチにある墓地は写真も見付からず。

ちなみに東京スリバチ学会ではスリボチ(スリバチ+墓地)と呼んでいるそうです。
大聖院(横浜市港北区日吉)
日吉の大聖院を調べると必ず「日吉台地下壕」が浮びあがります。第二次世界大戦中、慶応大学日吉キャンパスに連合艦隊司令部が置かれ地下壕2.6㎞が掘られました。

日吉台の丘にも2㎞ほどの「箕輪艦政本部地下壕」がありました。

2002年に埋戻しが始められ、同時に学術的調査が行われてました。情報は「日吉台地下壕保存の会」のサイトで見る事ができます。
大聖院(横浜市港北区日吉)前の道 川跡?
「日吉台地下壕保存の会会報」を読んでいくと大聖院背後の「日吉台の丘」は昔に「夕日丘」と呼ばれていた事が記載されています。

軍事施設があった日吉は空襲の標的でした。大聖院も焼失しました。

今は一見すると閑静で戦争を思い浮かべる雰囲気はありません。しかし、この地には今でも公に語る事の出来ない秘密があっても不思議ではありません。
諏訪神社(横浜市港北区日吉)
次に立ち寄った場所は崖が付き出た場所に鎮座する諏訪神社です。創建は文安元年(1444年)と古くから箕輪の鎮守として祀られてきました。

安永5年(1777年)の「箕輪村景谷山東観寺大聖院」の記録に「支配宮」だったとあります。
諏訪神社(横浜市港北区日吉)
大正3年(1914年)に部落内にあった御嶽社、稲荷社、天神社、神明社、厳島神社、道祖神を合祀しています。まさに箕輪の鎮守様です。

本殿から眺めも爽快です。前を通る道路の標高は約6m、本殿周囲は10mと高くなっています。崖の下にできた小高い場所を活かし築かれた村の鎮守です。

古くてミステリアスな場所です。

「日吉台の丘」という名前は最近できた様で古くは「竹鼻」、「夕日丘」など呼ばれていた様です。また、箕輪3丁目は「箕輪洞谷」や明治大正の古地図に出て来る「根方」という地名もあります。

先史時代から大きく栄えることなく人が住み続け場所だからこそのミステリーもあるのでしょう。

多摩丘陵から続く下末吉台地の先端にある箕輪3丁目は湧水も豊富です。

つづく…ほいじゃ
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