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日吉の由来と歴史、神仏習合の裏山「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」⑤

「勾配があれば歩く」東京スリバチ学会の性なのかもしれません。私も同類なので願ったり叶ったりでした。「日吉フィールドワーク」で午前中に一度立ち寄った金蔵寺に戻り裏山を登りました。

ただの裏山ではありません。

現在、日吉と呼ばれる地名の由来になった場所であり、神仏が融合した不思議な空間でした。
金蔵寺 山門
本堂の左を抜けると「辨天堂」と書かれた建造物がありました。名前はお堂です。建造物下部は空洞になっており通り抜けできます。どう見ても山門です。
金蔵寺 山門
入口と内部には密教的な派手な装飾が散りばめられています。壁面には多彩に描かれた弁天様、天井に黒く描かれた龍が印象的です。弁天様と龍の関係は定かではありません。
金蔵寺 山門
立派な御堂なのですがあまり知られていない様です。検索しても公式ページは見付からず、個人ブログの情報ばかりです。

金蔵寺は平安時代に建立され江戸時代に最も栄えた寺でした。肩書きもたくさんあります。
関東三十六不動五番
関東百八地蔵八十五番
准秩父三十四観音三番
横浜七福神(寿老人)
金蔵寺 山門
お堂を抜けると鳥居がありました。「金五拾円也 正一位稲荷大明神 駒林 谷戸講中」駒林の谷戸で作る信仰の集まりがお金を出し合い鎮座させたお稲荷さんなのでしょうか?

お寺で鳥居を見たのは初めてかもしれません。神仏習合が残った場所なのでしょうか?
金蔵寺 不動明王
さらに登ると三体の不動明王が祀られています。嘉永2年(1849年)に木月(現在の川崎市中原区)が矢上川の水害に襲われ親子が亡くなりました。

被害者を弔い、再び惨事が起きない様に北加瀬、矢上、木月が施し、信仰した不動尊です。
金蔵寺 日吉山王権現の碑
次に「日吉山王権現の碑」があります。日吉山王権現は比叡山の山岳信仰、神道、天台宗が融合した神仏習合の神です。神仏習合の場所に感じて仕方ありません。
金蔵寺 日吉山王権現の由来
少し上がると「日吉山王権現の由来」と書かれた碑があります。日吉という地名の由来が書かれています。明治に町村合併される以前に日吉という地名は存在しませんでした。
金蔵寺 奥ノ院弁財天
次は「奥ノ院 弁財天」です。弁財天は元々ヒンドゥーの神ですが、仏教と神道の両方に取り込まれた神です。こちらも神仏習合が色濃く残っています。

日本は奈良の大仏が出来て以来、明治の神仏分離まで神仏習合の国でした。
金蔵寺 奥ノ院 不動
裏山の木々に囲まれた空間に入りさらに登ると最上部付近に「奥ノ院不動尊」があります。金蔵寺は天台宗のお寺なので不動明王が祀られている点に違和感がありません。

やはり、裏山の中腹にあった日吉山王権現と弁財天が異色です。
金蔵寺 奥ノ院の上
一つ残念な事があります。奥ノ院不動尊から「緑地化保存地区」と書かれた表示を超え登りました。丘の最上部には鉄筋コンクリトート製の建物が!

それまでのしっとりとした和の雰囲気が台無しです。
金蔵寺 奥ノ院への参道
本堂周囲の標高は5.5~6m程度、裏山の最高点は約36mです。本堂の裏から差異頂部までの直線距離約80m、標高差は約30mなので計算上約37.5度の崖になっています。

参道は100m程度で斜面を数回折り返し登って行きます。

大きな地図で見る

<日吉の由来と経緯について>
日吉村は現在の川崎市と横浜市にまたがる今よりも広い地域でした。今でも川崎市に日吉中学校、日吉小学校があります。明治時代に日吉の分割はもめた出来事だったそうです。

江戸時代から明治前半にかけて10部落が存在した地域でした。明治になり武蔵国橘樹郡から神奈川県橘樹郡に変わりました。多摩丘陵は武蔵国だったという事が伺われます。

<昔からある部落の名前>
駒林、駒ヶ橋、矢上、箕輪、鹿島田、小倉、北加瀬、南加瀬、苅月、木月

今でも大体が地名として残っています。

明治5年 大区小区制で各村々が区分けされた。
明治11年 郡区町村編成法で各村々が復活した。
明治22年 市町村制による町村合併で日吉村が誕生した。

多くの部落をまとめた名前を決めかね、一井寺(駒林金蔵寺)の裏山に比叡山日吉山王(現在の日枝神社)から分霊された日吉山王権現が鎮座されていることから日吉村になりました。

大正15年(1926年)東京横浜電鉄(東京急行電鉄→東急電鉄)
昭和8年(1933年)慶応義塾予科を誘致 
昭和14年 横浜市神奈川区に編入
昭和16年 横浜市北区に編入 日吉村の名がなくなる

元々、矢上川の左岸は稲作の水路の関係で川崎市側と関係が深く、右岸の地域では生産物である果物の出荷で横浜市側と強い関係にありました。

鉄道が敷かれその傾向はさらに鮮明にとなり、慶応義塾が横浜市の水道を引いたことで対立が頂点に達しました。最終的には神奈川県の裁量により現在の区分けに落ち着きました。

次回は金蔵寺裏山の崩落箇所について。

つづく…ほいじゃ
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