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日吉の地勢「日吉フィールドワーク(東京スリバチ学会)」①

最初に「日吉」と聞いた時にどこだから分かりませんでした。実際に行くと地形冥利のある見事な場所でした。10月26日の東京スリバチ学会の日吉フィールドワークは日吉に参加しました。

事前調査ゼロ、土地勘ゼロの状態で参加し、私にとってブラインドタッチ的なフィールワークでした。

東急東横線の日吉駅(1926年開業)に到着したものの誤って慶応大学キャンパス内の出口に出てしまい集合場所を探すだけで一苦労しました。
日吉台
日吉は多摩丘陵の東端近くに位置しています。駅前には綱島街道(県道2号線)が高台を貫いています。鎌倉街道の一部だった街道ですが日吉付近は旧道に該当しません。

わざわざ、高台を貫く街道を鎌倉時代に作らないでしょう。

旧鎌倉街道沿いの高台と言うのが妥当かもしれません。その頃は日吉という地名もありませんでした。北から東に回り込む矢上川と西から南へ抜ける早渕川に囲まれた台地です。

どちらの川も南下して鶴見川に合流します。
多摩丘陵
多摩丘陵の多摩と言う字に惑わされてはいけません。横浜市まで伸びている琵琶湖の半分弱ある300平方キロメートルの丘陵地です。多くの行政機関をまたがっています。

東京都八王子市、日野市、多摩市、稲城市と神奈川県川崎市、横浜市です。

北は日野台地と多摩丘陵を隔てる浅川、西は高尾山の麓まで、東は多摩川、南は三浦半島の根元にある横浜市の円海山緑地帯です。

丘陵地帯は三浦半島の三浦丘陵につながっています。

多摩丘陵の大部分は旧武蔵国であり、旧相模国だった三浦半島と合わせて武相丘陵と呼ぶこともあります。神奈川県側ののみを川崎・横浜台(丘陵)と言うこともあります。
日吉地図昭和5年
古地図を見ましょう。昭和初期の日吉は橘樹郡日吉村でした。これは昭和5年(1930年)の横浜市全域の地図ですが端の方にギリギリ描かれていました。

駅前の特徴的な放射状の土地は描かれていません。

線路も描かれていません。東急東横線の日吉駅ができたのが大正15年(1926年)だから省略されている可能性があります。
日吉地図昭和9年
4年後の昭和9年(1934年)には放射状になった駅前の道が出現します。特徴的なのは右側半分だけある事です。左側半分は後に作られたことが分かります。

東急東横線が「東京横濱電気鉄道」と書かれています。

また、この地図では現在も同じ場所にある「慶応義塾」、「金蔵寺(こんぞうじ)」、「大聖院」、「熊野神社」、「神明社(日吉神社)」の表記があります。

「駒林小学校」は位置が変わっています。
神奈川縣觀光圖繪(抜粋)昭和9年
同じく昭和9年(1934年)のものですが俯瞰図です。神奈川縣觀光圖繪から日吉を付近を抜粋してみると日吉と慶大の文字がはっきり書かれています。

東急東横線は「東京横浜電鉄線」と微妙に違う表記になっています。

また、絵を詳しく見ると日吉の名前の由来となった金蔵寺奥ノ院の高台が描かれています。明治時代以前の日吉と名前の由来については金蔵寺の部で詳しく記します。
日吉駅前普通部通(横浜市)
日吉駅前に無事集合した日吉フィールドワークの参加者と共に出発しました。生憎の雨にも関わらず大人数となりました。「普通部通」は行きと帰りに通った道です。

放射状の道の左側で後から作られた区画です。由来は道の先にある慶応大学普通部の様です。
日吉 金蔵寺の谷
第一の目的地はこの「金蔵寺の谷」でした。正式名は知りませんが取りあえずそう呼ぶことにします。この谷を登り下りしながら地形と寺を堪能しました。

つづく…ほいじゃ
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