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高田馬場跡と古い坂のわびさび「高田馬場発 半日満足ツアー」⑦

高田馬場の流鏑馬で受けた余韻を残しつつ帰路に立ちました。街歩きでは帰路も大切なルートです。最短距離を選ばずに高田馬場跡へ向かしました。

そして、以前通りたくて通れなかった面影橋へ続く古い坂道を通ります。
穴神社、高田馬場跡、面影橋
まずは穴神社から高田馬場跡へ向かいました。友人にも高田馬場の由来となる場所を実際に目で見て欲しいと思いました。

実際は馬場は残っていません。しかし、周回する道の一部が残っています。
安政江戸図1859年
安政江戸図(1859年)には高田馬場が描かれています。この地図は上がおおよそ東です。時計回りに東の角を回り直線を西に向かうと最初に出会う南へ向かう道が神田川の面影橋(姿見橋)へ続く坂道です。

この坂道は下り坂になっており、高田馬場は高台にあったことが分かる場所です。
高田馬場跡 茶屋通り
高田馬場の東の角には現在「茶屋通り」と呼ばれる高田馬場沿いの道が当時の面影を残しています。高田馬場があった江戸時代には馬場の風景を見学できる茶屋が何軒かあったところです。

高田馬場は1636年に造営された馬術練習場でした。流鏑馬の奉納も行われた場所です。
高田馬場跡 茶屋通り
上にある写真の長い直線が高田馬場の北面にあたります。写真で見ると馬場は右側にありました。馬場は明治になり廃止されました。今では建物で埋め尽くされています。

高田馬場の由来は諸説あります。

1、高田藩主松平忠輝の生母高田殿の遊覧地だったから
2、高台にあるので民から高田と呼ばれていたから
高田馬場跡から面影橋へ下る坂
高田馬場から当時は姿見橋と呼ばれた現在の面影橋へ坂を見下ろすと馬場付近が高台にある事を視覚的に理解できます。この坂は平川(神田川)が削った台地です。

この坂は江戸時代の地図にも記載されている道です。そして、江戸時代以前は「山吹の里」と呼ばれていたと言われる場所です。山吹の里ルートと呼ぼう。
高田馬場跡から面影橋へ下る坂
江戸城を作った室町時代の武将「太田道灌」が鷹狩と称して探索に度々足を伸ばしたところと言われています。坂の西側にある水稲荷神社内には「太田道灌 駒繋松」が残されています。

また、水稲荷神社から続く甘泉園を歩けば「山吹の里」を想像させる様な雑木林が印象的です。
高田馬場跡から面影橋へ下る坂
この坂は歩く分には心地よく良く坂を堪能できる傾斜です。坂上が標高18.3m、坂下が標高9.4mと約270mの間に8.9mの高低差があります。

数値にすると33.0パミールです。

電車にはきつい坂ですが、歩く分には問題ありません。坂の途中には「松屋食品店」と看板が掲げられていた古い店があります。昭和の香りがします。
高田馬場跡から面影橋へ下る坂
街歩きをしているとどうもこうした建物に反応する自分がいます。蔓が看板や壁面を覆っているところに趣を感じずにはいられません。

古語で言うと「いとをかし」です。これが「わび・さび」なのでしょうか?

経年劣化して閑静な少し粗雑さな様子に美を感じるのは日本人らしくなった証拠でしょうか?それとも私が年を重ね心が経年劣化しているのでしょうか?

それはさておき、古道、特に古い坂を通ると当時の人達の息遣いが聞こえる気がします。

この坂を下り終わると東京唯一の都電「東電荒川線」が走る新目白通りにぶつかります。この通りは鎌倉街道だったのではないかと言われる古い道です。

そこに面影橋(姿見橋)があります。

つづく…ほいじゃ
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