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流鏑馬会場(戸山公園)から穴八幡宮へ「高田馬場発 半日満足ツアー」⑥

流鏑馬を東京五輪の種目にはどうでしょう!動体視力とバランス力が求められ、人馬一体になる鍛錬を考えればハイレベルな馬術です。アーチェリーと馬術の融合体とも言えます。

高田馬場流鏑馬の後編です。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
流鏑馬を生で見たのは初めてでした。流鏑馬のスピード感と迫力は想像以上で見るものを魅了します。また見たいと思いました。

馬場の丁度中央にある二の的の対面に有料席が設けられていました。確か2000円でした。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
さて、流鏑馬が終わるとどうなるのか?場内の解説では穴八幡宮まで隊列を組み戻るそうです。ならば付いて行くしかないと思い必死に出口へ向かいました。

観覧者数は想像以上でこれ以上知名度が上がると収拾がつかなくなるかもしれません。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
友人と私は馬の尻を追いかけました。友人がぽつりと「馬は軽車両だ。」と言いました。道は閉鎖され馬の隊列と流鏑馬関係者は道路を歩いて行きます。

警官も一緒です。私の様に物好きな馬の尻追いかけも多く一時諏訪通りは騒然としていました。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
穴八幡宮に到着すると馬と流鏑馬関係者は二手に分かれました。馬は馬房へと向かったのでしょう。私は流鏑馬関係者の最後尾に付けて境内へと進みました。

階段を上がると参道の脇に見物人がいます。知らんぷりをして関係者の後ろを歩きました。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
流鏑馬関係者達は拝殿へ上がり奉納をして解散となります。私はそこで見学者の最前列で様子を見ていました。流鏑馬の規定通りの列で参拝する姿が妙に決まっていました。

威厳と格式を感じる流鏑馬の最後でした。「また、来たい」と思わせるのには十分です。
穴八幡宮
穴八幡宮は江戸時代以前から八幡山と呼ばれた場所にあった古社です。由緒によると1062年に源義家が奥州から凱旋した際に兜と太刀を奉納して八幡神を祀ったことが始まりです。

寛永13年(1636年)に幕府の的場が設けられ江戸の守護神としました。

寛永18年(1641年)に宮守の草庵を作るため山裾を切り開くと神穴が発見されました。以降、穴八幡宮と呼ばれています。
穴八幡宮
高田馬場の流鏑馬が穴八幡宮の境内で開催されたのは昭和9年(1934年)から終戦までの数回のみです。江戸時代には高田馬場で行われました。

戦後に再興された昭和39年(1964年)から昭和53年(1987年)までは水稲荷神社の境内で行なわれました。この時から保存のために毎年行れています。

戸山公園での開催は昭和54年(1988年)からです。

江戸時代にはやはり奉納という趣旨であったために都度の開催でした。再興のきっかけになったのは享保13年(1728年)の疱瘡平癒祈願でした。

その後の開催は元文3年(1738年)の竹千代(のちの10代将軍家治公)誕生のおりでした。それからは将軍家若君誕生の度に開催されていたと言われています。

現代は文化の保存と言う目的のために毎年開催です。見る価値は多分にあります。まだ見ていない方は是非、来年の体育の日に。

次は江戸時代に流鏑馬が行われた高田馬場跡へ向かいます。

つづく…ほいじゃ
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