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格好良い! 高田馬場 流鏑馬 「高田馬場発 半日満足ツアー」⑤

元来、馬好き。勝手に遊牧騎馬民族の末裔だと勝手に思っている私に流鏑馬は興奮に値する行事です。人馬一体となり的にめがけて矢を放つ姿は馬好きでなくとも興奮に値します。

毎年、体育の日に行われる高田馬場流鏑馬のシーンです。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
流鏑馬の発祥は平安末期から鎌倉時代と言われています。馬上から的を射る練習が後に神へ奉納される様になりました。鎌倉時代以降に一度途絶えた流鏑馬を再興したのが八代将軍徳川吉宗公です。

古書を調査させ流鏑馬の儀式を確立させました。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
行事の進行、服装は規定が細かく規定され同じルーチンで行われています。穴八幡から戸山公園の流鏑馬会場に行列を組んでやって来ます。

1、定刻前に衣装に着替える
2、午後1時 祭典 お祓い
3、行列に移る
4、馬場に到着。埒(らち)の左を通り馬場末まで行き馬から降りて跪く
5、名代役、日記役は日記所に着座する
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
馬が走る馬場を埒(らち)と呼びます。スタート地点を馬場元、反対側を馬場末と言います。その間に一の的、二の的、三の的が設けられます。

的毎に以下のスタッフが配置しています。
的奉行 1名
采揚、矢取 3名
的持 5名
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
吉宗公の時代に古文書を綿密に検証して再現された衣装です。開始前には射手1名と日記役1名が二の的あたりで開始を宣言します。

日記役:(一礼)「流鏑馬始め候へ」
射手:「承り候」(えしゃく)
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
この日は開始が遅れました。会場では例年より長い時間、今風に言うイベントDJの解説が続きました。切れのあるトークでなく、お爺さんがのらりくらりと話す感じした。

会場が和みました。

歴史的背景等を説明するのですが、長々と話した後に必ず「え~、よく、…わかっておりません。」と言う落ちが必ず付け加えられました、
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
実際に吉宗公が再興する時点で良く分からない事ばかりでした。突き詰めると所、再興時の規定を大切して純粋に流鏑馬を楽しみながら奉納することが大事だと察しました。

ちなみに上の写真が唯一撮れた的を射た写真です。

速い馬、遅い馬がいて流鏑馬の技量が求められます。写真撮影も同様です。サラブレッドらしき速い馬の時の成功率が低いのですが迫力満点です。
高田馬場 流鏑馬 2013/10/14
判定役が的を射たとジャッジすうと褒美がもらえます。見事、的を射た射手は一走毎に二の的の辺りで褒美を受ける儀式に立ち会います。相撲の様です。

高田馬場流鏑馬が始まってから現代までの流れは次の様になっています。

1728年 将軍家奉納の穴八幡神事流鏑馬が高田馬場で開催される
(明治になり途絶える)
1934年(昭和9年)皇太子ご誕生奉祝 場所:穴神宮境内 戦前数回
(戦前は数回開催される)
1964年(昭和39年)水稲荷神社が移転のおりに同宮内で流鏑馬を再興
(例年体育の日となる)
1979年(昭和54年)から戸山公園内に会場を移す
1988年(昭和63年)新宿区指定無形民俗文化財となる

神へ奉納される行事としては相撲と似てスポーツ感があります。やはり、良く決める射手は格好良く見え、スポーツ選手に向けたリスペクトの様な感情を抱きます。

江戸時代に射手はモテたことでしょう。

つづく…ほいじゃ
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