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秣川跡の道(馬尿川)「高田馬場発 半日満足ツアー」②

川跡歩きは町を知る上で重要です。上水道が整備された時代に生きる私には蛇口を捻れると水が出ることは当たり前のことです。しかし、それ以前は水がある所に住むしかありませんでした。

おのずと川筋に深い歴史が刻まれています。

歴史の深さ同様に、川は谷間を作り地形をより魅力的に、且つ豊かにしています。
高田馬場ツアー13
上流を秣川【まぐさがわ、まつがわ】、下流を馬屎川(ばしがわ)と呼ばれた川の跡です。秣【まぐさ】とは馬草と書くこともある様に馬や牛のエサになる草です。

馬屎の屎は「くそ」とも読み馬糞のことです。馬が関係した川ということになります。
秣川跡の道
秣川は大久保2,3丁目付近を源流として神田川に流れ込んでいた神田川支流のひとつでした。かつての川筋は道路になっています。暗渠になっているという情報はありません。

ここで、ひとつ後悔があります。

神田川の合流点付近からスタートせずに途中から川跡の道に入ってしまいました。上の写真にある急斜面は神田川合流点に近い川跡でしょう。旧源兵衛村のあたりです。
秣川跡の道
早稲田通りから上流に向かい歩き出しました。川跡らしい蛇行した緩やかな登り坂です。戸山公園までの区間は旧諏訪村です。ここで、ひとつ苦労したことがあります。

この辺りの古地図探しです。
秣川跡の道
高田馬場(跡)、戸山公園箱根山地区(尾張殿)、面影橋(姿見橋)までの地図は簡単に見付かります。しかし、すぐ隣の戸山公園大久保地区、秣川付近の詳細な地図を見付けるのに苦労しました。

江戸、東京府の境界線を超えた所が大久保村、諏訪村、源兵衛村だったからの様です。
秣川跡の道
川跡らしい塀が現れました。早稲田通りから旧諏訪村を通り諏訪通りまで抜ける約370mの区間は標高差が6mあります。16.2パミールの緩やかな坂ですが所々勾配が微妙に変化します。

一番最初に出した地形図を見ると深さはありませんがスリバチ状の谷間になっています。
秣川跡の道
左岸は自然堤防の様な小さな崖になっており見事な階段が設置されています。休日の昼間でも人や車の通りが少なく辺りをキョロキョロとしながらゆっくりと歩けます。

それにしても、秣川は一体どこへいったのでしょう。
秣川跡の道
マンホールを見ると「東京・下水道 管布設」と書かれています。失われた川の多くは暗渠化されていますが、この小さな神田川支流は下水道になっているのかもしれません。

下水道は自然の傾斜を利用して流します。
秣川跡の道
交差点がありました。右方向へ行くと玄国寺と諏訪神社があります。諏訪村の鎮守様です。
秣川跡の道
左方向を見るとなだからな坂になっています。浅いスリバチ状の地形であることが分かります。
秣川跡の道
とりあえず真っ直ぐの方向へ進み川跡を追いかけました。道は一段と細くなり勾配もきつくなります。
秣川跡の道
諏訪通りに出ました。ここで秣川の消息はなくなります。「川の地図」という本を見ると戸山公園(大久保地区)の奥が源流の様です。

戸山公園(大久保地区)に入り川跡を追跡しました。

つづく…ほいじゃ
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