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朝日山の傷跡 『小千谷 信濃川支流の山里を歩く ~震災復興の軌跡を巡る~』⑤

中越地震(2004年)から9年過ぎた今も生々しい傷跡が残っています。浦賀地区の風景を見た時は復旧終わっている様に見えました。しかし、奥に入ればまだ道半ばの箇所があります。

この崩落している道は朝日山の本道です。現在は通行止めになっており復旧作業が続いています。
朝日山登山
2006年に整備された旧道を登り切ると本道と合流します。まず目にするのは東軍兵士の墓です。私は困惑しました。東軍と言うと関ヶ原の戦いがまず頭に浮かびます。

勝者側という図式です。しかし、朝日山で言う東軍は旧幕府軍であり敗れた側です。
朝日山登山
道端にあること自体がショッキングです。明治政府は戊辰戦争後に旧幕府軍の遺体を片付けたり埋葬する事を人民に禁じました。

倒れた場所に何年も放置されたという事です。想像すればするほどにショッキングです。
朝日山登山
本道・旧道合流点付近は中越地震の被害が大きかった様子で1枚目の本道崩落現場も100m弱の距離にあります。地理院地図の1/2500には道が断絶された状態で表記されています。

また、頂上とは別に古戦場のひとつへ行く道も写真の様に通行止めになっています。
朝日山登山
生々しい地震、戦争の傷跡でした。一行は本道を頂上へ向かい歩きました。2006年に行われた「朝日山古戦場復興春の陣」で本道の整備も行われています。
朝日山登山
途中でアスファルトが途切れている部分がありました。当時の記録によるとアスファルトの路面は一部被災していたそうです。

未確認ですがこの場所がアスファルト被災箇所だったかもしれません。
朝日山登山
さらに進むと木々に囲まれたうす暗い空間がありました。よく見るとまた東軍兵士の墓がありました。まさにこの場所で亡くなり朽ち果てた場所です。

朝日山の戦いの後、遺体が山に散在していたい様子が分かって来ました。
朝日山登山
道端には野生のキノコが生えています。地元の方々と自然に目を向け、まったりとした会話をしながら登って行きました。冬期の朝日山の話も聞きました。

頂上の観音堂を雪下ろしをするために毎年3月に選抜隊が山を登るそうです。雪は深く苦労するそうです。
朝日山登山
今は秋。程良い気候、程良い勾配で負荷も感じずに標高230mの本道・旧道合流点から標高341mの頂上付近までやって来ました。このヘアピンカーブを過ぎれば頂上は目前です。

ここにも震災の跡らしき人工物がありました。
朝日山登山
壊れた道路ミラーです。まずミラーがありません。よく見ると棒の半分が地中に埋まっています。本道が途中で崩落している現時点で車で登る人はほとんどなく急いで直す必要性がないのでしょう。

ちなみに車で登れる道は1本あります。しかし、急過ぎて四駆が必須です。

その道が帰りのルートになるのですが、それはさて置いて次は頂上について書きます。朝日山の戦いでは大砲を頂上まで上げて麓の新政府軍を砲撃したそうです。

私はほぼ手ぶらで登ったのでその苦労は計り知れません。

つづく…ほいじゃ
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