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微高地へ 願髄寺、開運稲荷神社 『新潟の町 微 地形散歩DAY2』⑦

そろそろ坂が欲しくなって来ました。海抜ゼロメートル地帯の新潟下町(しもまち)を歩いてきた『新潟の町 微 地形散歩DAY2』の参加者は願隋寺まで到着しました。

願随時の入口はまだ標高-0.9mです。

目的地は日和山です。そろそろ勾配のある土地へ入るはずです。
『新潟の町 微 地形散歩DAY2
願隋寺は背の高い松が印象的なお寺でした。幕末に河村修就(ながたか)が松の植栽を築いた場所です。1843年に新潟町は幕府領となり初代奉行に就任した人物です。

1617年に長岡藩主の堀直寄が始めたされる砂防林事業は二百年以上引き継がれ進められました。
願随寺(新潟市)
願隋寺は幕末の新潟町で迎賓館としての役割を果たしたお寺です。1958年に幕府は米国、オランダ、イギリス、フランス、ロシアと修好通商条約を結び函館、新潟、横浜、神戸、長崎を開港場としました。

翌1959年に新潟港をロシア船、オランダ船が調査のために訪れ、願隋寺を外国人応接の場として使いました。
願随寺(新潟市)
一行は墓地の中の道を通り次の目的地「開運稲荷神社」へ向かいました。来ました!勾配です。墓は一段高い所にあり手すりが設けられていました。

墓地には立派な松の木が連なっています。河村奉行植栽の松林の名残なのでしょう。
『新潟の町 微 地形散歩DAY2-2
『新潟の町 微 地形散歩』2日目は『新潟下町あるき 日和山 登山のしおり』にあるコースに沿って基本的には歩きました。時々、コースから外れ墓地の道や民家の路地へ突入しました。

コースの前半は平地を行き、後半は微高地に入ります。

谷を愛する東京スリバチ学会とのコラボという事もあり路地連新潟らしい「お・も・て・な・し」でした。
新潟市中央区栄町、西受地町の路地
新潟市中央区栄町、西受地町にある民家の路地です。生活空間に密着した極細の閑静な道を一行は声を抑えて通り抜けました。家々からテレビの音がはっきりと聞こえました。

過去にない街歩き体験でした。人の生活空間にお邪魔させていただいた感覚です。
開運稲荷神社(新潟市)
路地を抜けると期待通り砂丘へ登る緩やかな坂道が現れました。海寄り砂丘に近づいた証拠です。坂の先には開運稲荷神社の鳥居が見えました。

願いを叶える「こんこん様」で知られるお稲荷さんです。
開運稲荷神社(新潟市)
元々は米蔵の守り神として領主の牧野氏が関屋村に創建したのが始まりです。その後は場所を転々として現在に至ります。

1649年:関屋村に創建。
1821年:白山へ移転。開運稲荷神社に改称。
1874年:古町通りの秋葉神社宮内に移転
1877年:現在地の四ッ屋町へ移転

「こんこん様」は明治初期に生まれました。出雲国の廻船問屋が越後まで米を仕入に来た際に船のバランスを取る錘(おもり)として使った出雲石が使われました。
開運稲荷神社(新潟市)
現在、「こんこん様」の口先は破損しています。地面に落ちた破片を合わせると狐様というより鳥類の様でした。これはではいかん!早く直してあげましょう!

前回の修理は平成13年だったそうです。

次は力学的に無理のない口の形状であって欲しいと願うばかりです。

地理院地図で調べた標高
願隋寺の入口:標高-0.9m
願隋寺の墓地:標高2.2m(最高点辺り)
民家の路地:1~2m
開運稲荷神社の鳥居:2m

新潟下町の海抜ゼロメートル地帯を抜けました。次は標高16m台の新日和山を目指します。

つづく…ほいじゃ
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