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新潟下町の未来? 金刀比羅神社 『新潟の町 微 地形散歩DAY2』⑥

九月の新潟は心地よい気候です。九月末の事を十一月に書いていると季節感が狂いそうです。しかし、写真を見返すとあの日に肌で感じた気温、湿度が蘇ります。

『新潟の町 微 地形散歩』の街歩き人達は金刀比羅神社に到着しました。
金刀比羅神社(新潟市)
金刀比羅神社は金刀比羅大権現に感謝して作られた1821年頃創建の神社です。大阪から新潟の航路を行く北前船「白山丸」難破しそうになりました。その時に金刀比羅大権現が現れ救ってくれたそうです。

船主の鈴木彌五左ェ門(やござえもん)が霊験に感謝し建立しました。

建築物としてはコンパクトながらオープンな印象を演出する道に面した神楽殿が気に入りました。
金刀比羅神社(新潟市)
その時の光景が大きな絵馬になって神社に奉納されています。「難船彫刻絵馬」です。『新潟の町 微 地形散歩』は拝殿の中に入れてもらい彫刻を堪能させていただきました。
金刀比羅神社(新潟市)
拝殿内には今回のガイド役を務めた路地連新潟の野内さんが「難船彫刻絵馬」を撮影しトレースした絵が奉納されていました。作品よりも名前が大きい点に一同から笑いが出ました。

『新潟の町 微 地形散歩』の直後に路地連新潟+新潟市は2013年日本グッドデザイン賞を受賞しました!
金刀比羅神社(新潟市)
街歩きをしていて神社の拝殿内に入ることは滅多にありません。上の写真の拝殿から参道を見るアングルはなかな出会えません。貴重な一枚を収めることができました。

『新潟の町 微 地形散歩』の街歩きでは普段は見れない視点を提供され価値があっと感じています。
金刀比羅神社(新潟市)
金刀比羅神社で湊稲荷神社と同様に気になった事があります。足止めの願懸けです。何かを止めたい、誰のある行動を止めさせたい、そんな願いを成就するために狛犬の足を縛ります。

上の写真は金刀比羅神社のもので下が湊稲荷神社です。
湊稲荷神社(新潟市中央区)
なぜここまで願懸けが定着しているでしょうか?率直な疑問として浮かび上がりました。土地柄を考えました。川の氾濫、海の危険、地震と津波、砂と風による災害、…。

地理的に厳しい土地柄です。

他の海辺の町にも波除神社が祀られています。大きな自然の力の前では人は最終的に無力であり、あらゆる手を尽くした後にできることは願を懸けることだけなのでしょう。
金刀比羅神社(新潟市)
もう一つ金刀比羅神社で気になった事があります。切株にしめ縄が付けられていました。これは御神木を切った跡なのでしょうか?何気ない事が非常に興味深く感じられます。

街歩きの楽しみの一つです。

路地連新潟と東京スリバチ学会が開催した『新潟の町 微 地形散歩』の参加者は金刀比羅神社を後にして次の目的地へ向かいました。
金刀比羅神社(新潟市)
ここで「みなとぴあ」から金刀比羅神社まで歩いて来たルートをおさらいしてみました。地理院地図で確認すると早川掘、艀下川跡周辺の下町は海抜ゼロメートル地帯です。

信濃川沿いの堤が2mあり進水を辛うじて防いでいます。

土砂が積もってできた土地なのに0m以下と言うのは妙です。思い当たるのは大地震、そして天然ガス採掘による地盤沈下です。新潟市の歴史を語る上で地盤地下は外せない出来事です。

また、新潟島の地理を語る上で1922年(大正11年)の大河津分水完成が分水嶺だと確信しました。

河口より手前で信濃川の水と土砂が海に出る様になり、太古の時代から続いた河口付近の土地の自然拡大は止まりました。反転して海寄りの砂浜が数百メートル単位で後退する土地減少と戦うことになりました。

河口付近の水量減少は新潟島の風景そのものを変えて行ったのでしょう。

新潟の上島、下島は江戸時代に土地が形成され、明治時代にかけて開拓され町の形が作られました。1964年(昭和39年)までには町から堀が消え今の下町がここにあります。

2013年9月の空気をまといながら10年後、20年後の姿を想像してみました。

最終的にはそこに住む人次第でしょう。

つづく…ほいじゃ
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