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早川掘跡、浅草観音堂、湊稲荷神社 『新潟の町 微 地形散歩DAY2』④

街歩きが好きな人は目的地へ向か道中も色々なものを見ています。普段は当たり前に見える町の風景も視点を変えると別の表情が浮かびあがって来ます。

時に見えないものさえ見ようとします。
湊町通り(新潟市中央区)
『新潟の町 微 地形散歩DAY2』の参加者達は「みなとぴあ」を出て湊町通りに入りました。看板が昭和のテーストです。地元の人ならば古臭いと思うのかもしれません。

しかし、旅人なら懐かしさを感じます。古くなればなるほど価値は上がります。昭和はもう遠い過去です。
湊町通り(新潟市中央区)
現代風の建物の間にぽつりと残る木造建築を見付けました。何とも言えない違和感が心をくすぐります。もしかしたら、数年後にはないかもしれません。

なくなってからでは後の祭りです。いつ撮るか?今でしょう!
早川掘跡(新潟市中央区)
湊通りを直角に右折し西湊通りに入りました。少し行くと広い通りに出ます。早川掘の跡です。戦後しばらくは生活に物流に活用されていました。

色々調べましたがいつできて、いつ埋めたられたか正確に分かる資料が見付かりませんでした。
新潟市 税関付近 大正13年
分かったことは1964年の新潟国体向けて新潟島の掘はすべて埋められたという事です。また、埋めたられた理由としては大河津分水や地盤沈下による堀の水質悪化、モータリゼーションによる掘の存在意義消滅でした。

今はなき掘の姿を頭に描くことも街歩き醍醐味です。
浅草観音堂(新潟市中央区)
西湊通りが突き当るところに寺の様にも老舗の様にも見える建物がありました。閑静な新潟の下町で意外な文字が目に飛び込みました。「浅草観音堂」!?

浅草との共通点は下町、水辺でしょう。調べてみました。
浅草観音堂(新潟市中央区)
時は明治維新直後、浅草寺は明治開港五港を祈願するために観音像を作り各地へ分身させました。1879年(明治12年)、新潟港には遅れて分身されお堂が建てられたそうです。

浅草との相違点は「賑わい」です。

ネットで「早川掘」を検索してみました。古い写真が出て来ます。多くの人で賑わった活気のある水辺が見えて来ました。閑散としたこの地域も当時は賑わいがあったという事です。

数十年後には「堀の町にいがた」が再現されているかもしれません。

「堀割再生まちづくり新潟」が市と協力して掘の再生を試みています。また、「みなとぴあ」に早川掘や西堀をイメージした小さな堀が再現されています。

その時にはまた訪れたいものです。
新潟市 税関付近 大正13年
一行は湊稲荷神社へ向かっています。「あれ?」

もう一度、大正13年の地図を見ると当時は上記のルートには艀下川(はしけしたかわ)を渡る橋がありません。お稲荷さんへ行くには税関の横にある橋を利用しなければならなかったのでしょうか?

他の古地図も確認してみました。

明治44年の地図には大正13年と同じく橋は税関の横にあるだけです。ところが、さらに古い明治34年の地図には通り一本北に行った所に橋が描かれています。

真実は?

どの様に対岸へ行ったのか興味深いものです。過去の他愛のないミステリーに遭遇できるのも街歩きの面白さです。

つづく…ほいじゃ
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