新潟島を感じる 『新潟の町 微 地形散歩DAY2』①

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2日目になるまで新潟島という呼び方にピンと来ませんでした。1日目の『新潟の町 微 地形散歩』は砂丘際の坂歩いた時は「台地の上」という感覚になっていました。

1日目の夕方近くに日和山展望台から日本海を見て、翌朝に集合場所である「みなとぴあ」へ信濃川沿いを歩いて字初めて海に囲まれた場所だと実感できました。
新潟島
「新潟市中央区は水と砂の街なんだ。」頭の中に地図が浮かびあがりました。通称「新潟島」と呼ばれる所以が分かった気がした瞬間でした。
新潟島
メスの刃の様な形です。1972年に関谷分水が開通した事実上の島となりました。歴史を遡ると少し上流の燕市に大河津分水(おおこうづぶんすい)が1922年に完成しています。

減災が目的で作られましたが副作用もありました。大河津分水は水と土砂の下流への流入を減らし新潟市の砂浜を後退させました。現在の新潟市の形を考える上で外せない出来事です。
新潟市 中世
中世の頃、現在の新潟市中央区付近は信濃川の沖積平野は今よりも少なく痩せ細った形でした。砂丘を中心に海側に砂浜が広がっていたと推測されます。

川の自由な流れにより新潟市全体に名前の由来となる「潟」が点在していました。
※潟  砂州または沿岸州によって海と切り離されてできた湖や沼。(Weblio参照)

土砂の堆積で砂州が目まぐるしく形を変え形成された土地です。現在の新潟県中央市付近にも白山島、寄居島などの現在は地続きになった砂州がありました。
新潟市 江戸時代初期
江戸時代初期には信濃川に沖積平野が広がりはじめました。赤い線は北国街道です。砂丘の尾根道を通ています。信濃川と阿賀野川の河口では船で渡りさらに北へ進みます。

昔の幹線道路は洪水などで遮断される恐れの少ない尾根道に敷かれているのが一般的です。

私が一番魅力的に感じたのは江戸時代の古地図に登場する「古新潟町跡」の存在です。海寄り砂丘にあった古い新潟町です。1638年に移転の請願が幕府に出され1655年頃には移転が完了したとされます。

聞いたところによると「古新潟町」の明確な場所は特定できていないそうです。

江戸時代以前は今よりも砂丘は海に近く、南北に北国街道が走る交通の要所だったのでしょう。砂の町という考えると遺跡は深い所に眠っているのでしょう。
新潟島
頭は半分眠っているものの新潟の土地の成り立ちと歴史ロマン「古新潟町」の存在にワクワクしながら集合場所に向かっていました。

2日目はみなとみぴあ」で旧新潟税関庁舎と歴史博物館を見学してから埋め立てられた掘を確認しつつ神社を巡りました。ゴールは1日目と同様に日和山です。
新潟の町 微 地形散歩DAY2
「新潟島」の平坦な砂州にできた街を探索します。

まずは「みなとぴあ」新潟歴史博物館です。ここで新潟市の土地の成り立ちが詳しく分かります。

つづく…ほいじゃ
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