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砂丘坂と路地群 『新潟の町 微 地形散歩』⑰

この窪みは川筋跡ではありません。地形をかじった人なら窪地は水の流れの跡と考えるでしょう。砂の町「新潟市」ではこの概念は通用しません。

「新潟市中央区」は信濃川、阿賀野川の沖積地と海からの風で形成された砂丘で構成されています。
P1490796.jpg
浜寄り砂丘と町寄り砂丘という二つの丘を一望できる坂です。砂丘だと思って見れば緩やかな勾配がもっともらしく見えます。名前を付けるならば砂丘坂とでも言うべきでしょうか。

『新潟の町 微 地形散歩』で最も気に入った坂です。

往生院道という古道として紹介してある資料を見付けました。しかし、江戸、明治、大正の地図を見て行くとこの道が描かれていないものもあり困惑しました。
新潟市 田中町と古町通の路地
このスポットは町の外れにあたりアバウトに描かれた古地図がほとんどです。

素晴らしい二大砂丘の坂を嗜んだ後は細い路地の中へと突入して行きました。田中町から古町辺りへ通ずる路地はアパートとアパートの間にある隙間のような所でした。
新潟市 田中町と古町通の路地
まさに「ディープ新潟」の象徴的光景と言って過言ではないでしょう。すれ違う住人の方はいませんでしたが知らない町の生活に入り込んだ距離感です。

この路地群は立地に特徴があります。
新潟市 砂丘坂と路地群
路地群は新潟市中央区を南北に貫く寺町群と町寄り砂丘が斜めに合流する手前の狭い土地に形成されています。寺町の終点だり町寄り砂丘が一旦フェードアウトする辺りです。

明治34年、明治45年、大正13年の地図上では町はずれという事もあり大まかな描写になっています。
法華宗 陣門流 薬王寺(新潟市中央区)
浜寄り砂丘上の薬王寺は大正13年の地図に載っていません。しかし、情報を集めると明治末期に現在地へ移転したと書かれていました。

絵も形も組み合わないパズルをしている様です。
法華宗 陣門流 薬王寺(新潟市中央区)
何も解決されぬまま今日のブログが終わってしまいます。後ろ髪を引かれる様です。土地の歴史に詳しい人ならば知っている事なのかもしれません。

「新潟市」の地形と土地の歴史が分かり辛いのは地図ばかり原因でないかもしれません。砂の町だからです。砂なら数十年で地形が変り建物の位置が点々としても不思議ではありません。

新潟市の土地と歴史を紐解くには砂と風と水という概念を同時に考える必要があります。

蛇足ですが薬王寺の掲示板に面白い文章がありました。

精(はげ)みこそ不死の道
放逸(ほういつ)こそ死の道
いそしみはげむ者は死することなく
放逸(おこたり)にふける者は
生命(いのち)ありともすでに死せるなり
 法句経

地図、地形、歴史でああでもないこうでもないと「励んでいる時」は不死の道にいるようです。いそしめば答えの先に新たな疑問が生まれます。

だから、また励みます。これが生きているということなのか?

つづく…ほいじゃ
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