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色あせた煉瓦塀 地獄極楽小路 『新潟の町 微 地形散歩』⑫

古めかしい煉瓦塀が気になる小道です。高貴で緑満ちた「旧齋藤家別邸」を後にして江戸時代中期から続く「行形亭(いきなりや)」の横を通り過ぎます。

左折。視線の先にある色あせた煉瓦塀は何かの遺構でしょう。
地獄極楽小路
『新潟の町 微地形散歩』のフィールドワークに参加した一行は一本の細道を嗜みました。「地獄極楽小路」です。地獄とは?道も半ばまで進むと「旧刑務所通用門」と書かれています。

現在は西大畑公園の南側の出入口、以前は新潟刑務所があった場所です。
行形亭(新潟市)
天国とは?道幅約3mの反対側にある「行形亭(いきなりや)」です。国の登録有形文化財に指定されている老舗の料亭です。刑務所とは対照的な存在です。

料亭遊びをしていても背中にナイフを突きつけられた気分で身を落とさぬよう緊張感があったもしれません。
地獄極楽小路
小路(こうじ)と呼ばれる細道が新潟市内には多く存在しています。小路は大路(おおじ)と対比させた呼び方です。律令制時代から使われた言葉です。

少なくとも7世紀には中央集権国家の影響下にあった事を考えれば不思議ではありません。
地獄極楽小路
似た言葉に広小路があります。江戸時代に生まれた道です。明歴の大火(1657年)をきっかけに火災の拡大を防ぐために設置された火除地(ひよけち)です。

煉瓦塀の向こうに広がる西大畑公園の反対側の道が新潟市を東西に貫く広小路の末端です。
地獄極楽小路
旧新潟刑務所と土地の歴史に目を向けると江戸時代後期までは火葬場として使われていたことが分かります。1845年(弘化二年)に西堀から牢屋敷が移転されて来ました。

明治時代になってからも徒刑場と名を変えて使い続けられました。
地獄極楽小路
1880年(明治13年)に大火があり徒刑場も焼けました。翌年の1881年(明治14年)に新築されました。煉瓦塀はその時に作られたものでしょう。

1922年(大正12年)に「新潟刑務所」と改称され1971年(昭和46年)に移転されるまでの50年ほど使い続けられました。
地獄極楽小路
「地獄極楽小路」は町寄り砂丘の中ほどを貫いています。通りの入口は標高約0.8mで中ほどの標高約3.8mの所まで登り勾配になります。そして標高約2mまで下ります。

「行形亭(いきなりや)」裏手の駐車場は標高にして5m台あります。「地獄極楽小路」が見下ろせる高さです。

駐車場の横に見える「行形亭(いきなりや)」の小山は高い所で9m台あります。また、向かいの西大畑公園の最も高い所で6m台あります。

これらを考慮すると「地獄極楽小路」は明治時代に砂丘を切通して作られた道と考えられます。もしかしたら、旧新潟刑務所も一部は人工的に削られ整地されたのかもしれません。

今では刑務所が公園になり「天国やすらぎ小路」と呼べる道です。昔の面影は色あせた煉瓦塀だけです。

ほいじゃ
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