スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

庭と建物が織りなす総合芸術(前編) 旧齋藤家別邸 『新潟の町 微 地形散歩』⑩

入場料300円の贅沢です。建物と庭が一体となった芸術作品の如き造園です。新潟市中央区東大畑にある旧齋藤家別邸は町寄り砂丘を利用した池泉回遊式庭園です。

こんな家に住めたらという願望を住んだ気持ちで味わえる場所です。
旧齋藤家別邸(新潟市)
私邸だった建物を市民の懇願から公有物とし一般公開されました。門をくぐると小ぢんまりとした庭があります。こぼれ日が陰影を作り出す芸術作品です。
旧齋藤家別邸(新潟市)
一階大広間は十畳の部屋が二部屋あります。襖を外すと非日常的な広々とした空間に変貌します。設計段階から風通しが考えれ心地良い空気の流れがある造りです。
旧齋藤家別邸(新潟市)
前面に日本庭園があります。江戸時代の築山を用いた池泉回遊式庭園の様に見えます。実際は築山を行わず砂丘の勾配を巧みに利用しています。庭師の技が光る総合芸術です。
旧齋藤家別邸(新潟市)
齋藤家とは江戸時代末期から明治・大正・昭和初期にかけて海運業、金融業、化学工業で成長した新潟三大財閥のひとつです。戦後は農地改革や相続税制で多くの財を失いました。

※新潟三大財閥:
【新潟市史】によると齋藤家、鍵冨家、新潟白勢家
【新潟開港百年史】によると山三(齋藤家)、鍵三(鍵冨家)、田三(田代家)
旧齋藤家別邸(新潟市)
私が一番気に入った部屋は一階西の間です。他の部屋より8畳と12畳の部屋が連なっています。他の部屋よりも一段高くなっており格式の高い部屋になっています。

南と北に縁側があり中庭と庭園という別々の表情の庭を楽しむ事ができます。
旧齋藤家別邸(新潟市)
旧齋藤家別邸という名前通り齋藤家が別荘や迎賓館として使われていた建物です。土地と建築物の簡単に歴史を紐解いてみましょう。

砂丘でできた新潟市中央区の中では古町地区と呼ばれる古い土地です。

<土地の歴史>
①江戸時代初期は(旧)新潟町の湊町
(海岸線が変わりその後に町が移転)
②宝暦年間(1751~64年)に飛砂対策にクロマツを植える
③嘉永4年(1851年)に幕府の四番御林となる
④防風林のおかげで周辺に畑ができ大畑という地名になる
⑤19世紀半ばに周辺に牢獄や軍営所が置かれる
⑥水路や道が通され宅地化していく

街にある異次元空間「深山幽谷の回遊式庭園」の原点が見えました。次は建物です。
行形亭(新潟市)
【隣にある行形亭(いきなりや)】

<建物の歴史>
①行形亭(いきなりや) 元禄年間(1688~1704)に創業
 「越後土産」として「松原 行形や」と書かれてた(1864年)
②堀田桜 行形亭(いきなりや)の隣に明治10年(1877年)開業
 ここが現在の旧齋藤家別邸にあたる
③島清館 料理屋・島清館が堀田桜を買収し移転
 明治26年(1893年)の火災で被災したため
④嶋村医院 大正12年(1912年)元軍医の嶋村信司が島清館後に移転
 庭には療養室が点在したと言われている
⑤旧齋藤家別邸 大正5年(1916年) 齋藤家が別邸を作り始める
 昭和20年(1945年)にGHQに接収され司令官公邸として使用される
⑥加賀田家住居 昭和28年(1953年)に加賀田組が買い取る
 加賀田家は平成17年(2005年)まで三代に渡り居住した。
⑦2005年に加賀田家の手から離れる
 「旧齋藤家夏の別邸の保存を願う市民の会」が立ち上がる。
⑧平成21年(2009年)公有化

古い建物が公的に保存されるまでに多くの幸運と多くの人々の力が必要です。日本の行政が欧州の様に積極的に歴史的、文化的遺産を保護する動きを取れる様に変わって欲しいものです。

旧齋藤家の様な建物が全国で失われないように!

文化は我々のルーツであり心です。心は失いたくありません。

次は庭に出ます…ほいじゃ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : くるま旅
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Crazybowler

Author:Crazybowler

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。