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もっと楽しみたい!! 淡路坂、雁木坂、文坂 お茶の水

一般人からすると坂は避けたい対象かもしれないが、街歩きが好きな人には積極的に通りたい道です。坂には歴史があります。

土地の地形を肌で感じる事で当時の人と気持ちが共有できた錯覚を覚えます。
文坂 御茶ノ水
神保町の駿河台下交差点からお茶の水駅まで僅か500mほどだが約12mほどの高低差があります。くの字に曲がる文坂です。江戸時代、武家屋敷だったこの辺りは坂の上部しか道はありませんでした。

明治時代の開発で道は駿河台下まで伸ばされました。横には文教の街らしく明治、日大があります。
雁木坂 御茶ノ水
坂上はお茶の水駅より辿り着くと160mほど手前です。信号器のある交差点があり坂下から見て右手には江戸時代の坂があります。雁木坂(がんぎざか)です。

江戸時代の古地図には「ガンギ坂」とカタカナ表記になっています。

がんぎ【雁木】(Kotobankより引用)
雁の群れが空を飛ぶ形のように,ぎざぎざの形のものの称

木材を階段状に組み登り易くした道です。写真で見ると奥の急斜面になっています。そこが雁木坂です。今は整備されて車が通れる道になっています。
淡路坂 御茶ノ水
この日は友人と秋葉原へ移動中でした。文坂の途中で明治大学付近に甲賀坂と吉郎坂が左右に伸びていました。流石に坂を昇り降りをして引きずり回す訳に行きません。

お茶の水から秋葉原へ―淡路坂を通りました。
淡路坂 御茶ノ水
大体、聖橋から昌平橋の間が淡路坂です。長さは300m程度で標高差は約11mです。神田川に沿ってゆったりと曲線を描く坂です。駿河台と下町低地を結ぶ坂になっています。

江戸時代には現在のお茶の水駅の両側に架かる「お茶の水橋」と「聖橋」はなく対岸の昌平坂学問所や神田明神へ幾には坂下にある昌平橋を渡る必要がありました。
淡路坂 御茶ノ水
江戸時代に坂沿いを淡路町と呼んでいました。武家屋敷が立ち並んでいたエリアです。淡路の由来は町からではなく坂からでした。

<由来>
①鈴木淡路守の屋敷(江戸前期、坂上西側)→淡路坂
②淡路坂→淡路町

坂の別名①:相生坂(あいあおいざか)
 川の反対側の坂を含んだ呼び名で反対側は今も相生坂と呼ばれている。

別名②:一口坂(いもあらいざか)
 坂上東側にあった一口稲荷神社(太田姫稲荷神社の旧称)から来た坂名。

一口稲荷神社(太田姫稲荷神社)は歴史の流れに翻弄されています。

①太田道灌の娘が天然痘になり京の一口稲荷神社の御利益で治る
②1457年に一口稲荷神社を江戸城の鬼門に勧請する
③1606年に徳川家康が江戸城の改築により城外鬼門の現在の聖橋付近へ移築
④1872年に太田姫稲荷神社と改称される
⑤1923年の関東大震災で焼失、湯島天神に避難
⑥1928年に再建
⑦1931年に御茶ノ水駅の総武線拡張により現在地に遷座…

現在地は江戸時代の場所より500m離れた神田駿河台1丁目にあります。池田坂の坂下です。寺社の移転は特に江戸では珍しくありませんが、ここまで振り回されると哀れに感じます。

…お茶の水周辺は古くて短い坂が多く残っています。立派な坂とは違った楽しみを坂好きに与えてくれます。機械を作り駿河台の坂を踏破します。

ほいじゃ
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