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ロシアの建築技術!? ニコライ堂(東京復活大聖堂)+聖 秋葉原・御茶ノ水周辺②

東京のJR御茶ノ水駅には神田川にかかる聖橋があります。鉄筋コンクリートアーチ橋の立派な石橋で関東大震災復興橋梁として1927年(昭和2年)に完成しました。

「聖橋」の名は一般公募で選ばれました。

神田川の両側に湯島聖堂とニコライ堂があり「聖」の字を使った名前です。
紅葉坂 東京復活大聖堂の横
初めてニコライ堂(東京復活大聖堂)の中に入りました。第一印象は想像したより質素でした。ロシアで見た寺院はもっと派手やかです。

ここで面白い話を聞きました。

ひと言で言うと「東京駅の地盤強化のため松杭を1万本埋めた手法はロシアからの技術だったのでは?」という話です。

起工:1884年、竣工:1891年
設計:ミハイル・シチュールポフ(ロシア)
実施設計:ジョサイア・コンドル(イギリス)
施工:清水組(現清水建設)

実はニコライ堂の下にも松の杭が埋められ地盤強化してありました。東京駅の工事が本格化したのが1914年で工事を請け負ったのが清水組でした。

地盤強化のノウハウはニコライ堂から来たのではないかという事です。付け加えれば、ロシアは18世紀に湿地帯だったサンクトペテルブルクを一大都市にしたノウハウがあります。
ニコライ堂(東京復活大聖堂)
ニコライ堂の入口は分かり辛く紅葉坂にあります。江戸時代からある道で駿河台は武家屋敷が並ぶ町でした。見晴らしが良く江戸城が眼下に見えたそうです。

そんな場所にロシアの聖堂が立つという事で右翼が工事の妨害をしたという記録が残っています。

ニコライ聖堂(正式名:東京復活大聖堂)
ビザンティン様式 高さ35m 1891年竣工
国の重要文化財(1962年)

関東大震災で被災、修復は教徒だった岡田信一という建築家が耐震補強と修復を行ったが、意匠が一部変更されて物議をかもしたという歴史があります。
湯島聖堂
神田川の反対側にある湯島聖堂は聖橋の由来となった建物です。江戸時代は昌平坂学問所でした。全国の藩士達の江戸遊学先となった場所です。

この日は台風18号直後のため中には入れず…。

湯島聖堂
国の史跡
「日本の学校教育発祥の地」
1690年 孔子廟(5代将軍徳川綱吉)
1691年 林家の学問所がこの地に移転
東京大学、筑波大学、御茶の水女子大学につながる系譜

神田川を挟み両側にある聖堂は歴史的価値があることが分かったと思います。加えて地形的な価値もあります。江戸幕府が神田川(平川)を本郷台地を削り通してた歴史的土木事業の跡です。

元々は一つの台地だった本郷台を江戸城に近い方を駿河台と呼び、神田川の向こうを本郷台と呼びました。

江戸、明治、大正、昭和が脈々と刻まれた御茶ノ水は歴史、地形の面から魅力的な場所です。歴史好き、地形好きには外せないエリアです。

明治維新後は英仏独のお雇い外国人による技術の伝承が注目されています。しかし、当時は欧州の後進国とされていたロシアから日本に技術が入っていた可能性に驚きと気付きをもらいました。

ほいじゃ
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