スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

古の旅人 息栖神社Ⅳ 東国三社巡り④

古(いにしえ)の旅人の気持ちを考えてみました。遠出ができれば非日常を体験できます。江戸時代は移動時間がかかり、今よりも人の往来が規制されていた時代です。

解放感を今の人以上に感じていたのでしょう。そして、何かを得て日常に帰ったことでしょう。
息栖神社
旅人は東国三社巡りの二ヵ所目に息栖神社を訪れたでしょう。今は閑散とした神社とその周辺ですが江戸時代の頃はもう少し活気があったのでは?と想像しいます。

人口1000万都市の江戸の人やその周辺の人が旅行するには遠くもなく近くもなく適度な距離です。
息栖神社
現代人が神社を訪れて癒されるとするならば、その一つ原因は木々の緑です。都市暮らしが続くと古い木を見かける機会も少なく、場所によっては緑がない地域さえ存在しています。

息栖神社の御神木は推定樹齢1000年です。別名を「息栖の夫婦杉」と言います。
息栖神社
江戸にも緑が少ない地域はあったと思います。しかし、現代人に比べれば緑のある風景は当たり前だった様に思えます。緑でも言葉遊び、何かと掛けてあると喜んだかもしれません。

「那岐(なぎ)の木」です。「薙ぎ、和ぎ、凪、名木」と案内板書かれています。

風が止んだ穏やかな海が凪(なぎ)です。すべてが円満に収まる和(な)ぎのパワーを取り込めると書かれています。
息栖神社
日本的な信仰で忘れてならないのは石です。森羅万象、八百万の神、…神道はアミニズム的な信仰です。石にパワーがあると思っている現代人も少なくありません。当時も同じだったのは?

※アミニズム=生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方(Wikipediaより)

「力石」は境内で行われた若者の力比べに用いられたものとされています。

東国三社で石と言えば鹿島神宮と香取神宮の要石が有名です。要石は地震を起こす鯰(なまず)の頭と尾を押させているとされます。力石もただの石ではないかも…?
息栖神社
東国三社を訪れて感じることは松尾芭蕉の存在です。1687年に鹿島神宮の仏頂和尚の招きで水郷地方を訪れました。石碑はいつの頃か建てられたものです。

「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」

気吹戸主は祓戸四柱の一柱です。総称を祓戸大神(はらえどのおおかみ)と言います。Wikipediaには「神道において祓を司どる神である。」と書かれています。

イザナギが「黄泉の国」から戻り「橘の小門(おど)」で体を洗い汚いモノを落しました。浄化、蘇生!古事記ではこの行為によって日本を形作る多くの神が生れています。

天照大神もこの時に生まれました。

この句の意味は「この神域にひたっていると身も心も浄化され、何の迷いも、曇りも、わだかまりもなくなり、体の中を風が吹き抜けるほど透き通り、寒くなるくらいだ」とのことです。

この旅の後で私も何か吹っ切れた感じがしています。気のせいかな?

昔の人も突破口探し、ブレークスルーを求めて旅をしたのではないでしょうか?

つづく…ほいじゃ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : くるま旅
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Crazybowler

Author:Crazybowler

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。