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リーチ! 息栖神社Ⅰ 東国三社巡り①

東国三社のトライアングルです。現在の茨城県南部と千葉県北部を流れる利根川沿いの歴史的神社群です。三社は日本初の歴史書が作られる以前から存在したとされる古い神社です。

鹿島神宮…創建BC660年(神武天皇元年)
香取神社…創建BC643年(神武天皇18年)
息栖神社…創建AD270~310年(応神天皇)
 (807年に南西の日川地区から現在地へ移転)

 ※古事記…712年、日本書紀…720年
 ※常陸国風土記713年編纂、720年成立

鹿島神宮と香取神社の場所は古代から変わっていない様です。しかし、息栖神社は移転しています。トライアングルは偶然の産物なのでしょう。

前回の南茨城&北千葉ツアーで鹿島神宮を訪れたので東国三社巡り達成へ向けリーチです。

より大きな地図で 東国三社 を表示
ここまでで分かる事があります。古代から東国三社周辺地域は重要な場所だったということです。現代人は江戸、東京と過去400年の中心地に目がいきがちです。

しかし、江戸時代以前は周辺地域がむしろ栄えていたと考えても不思議ではありません。
息栖神社
御祭神と三社の関係

息栖神社の御祭神である天鳥船命(あめのとりふねのかみ)が重要です。交通守護であり、鹿島大神の船頭を務めた神とされています。三社を一つと考えると次の様な図式になります。

道案内(息栖神社)、軍神(鹿島神宮、香取神宮)

息栖神社
住所:茨城県神栖市息栖2882
主祭神:岐神、天鳥船命、住吉三神
創建:応神天皇の時代(AD270~310年)

茨城より北は東北地方です。古代から大和朝廷の蝦夷経営の拠点となっていた地域です。私の勝手な推測ですが息栖の神は地元民で大和朝廷の軍人を案内した人物ではないでしょうか?
息栖神社
江戸時代以前は奈良、京都が中心の世界観でした。東国は田舎です。そんな、東国には常陸国があり、古事記の時代に登場し、伊勢神宮に肩をならべる神聖な鹿島神宮、香取神宮がありました。

東国三社巡礼の慣習
大和朝廷の時代からあった慣例です。
※元寇の際に国家安泰を祈願する勅使が派遣された
※明治元年、4年に勅使が派遣された

江戸幕府を開いた徳川家は鹿島神宮を厚く庇護しました。古代史のミステリーに中臣(藤原)鎌足の出身地に3つの説があります。どれも古代史上で重要な場所です。

1、奈良県橿原市
2、奈良県明日香村
3、茨城県鹿嶋市
息栖神社
香取海と関東平野

昔、香取海がありました。古代の関東平野に存在した海です。縄文海進で海面上昇が起き東京湾に匹敵する広さの海が今の千葉県と茨城県にありました。

古鬼怒湾と呼ぶこともあります。現在は利根川が流れていますが、江戸時代に流れが変えられるまでは鬼怒川の河口でした。

香取海は交通の要所であり、蝦夷(えみし)経営の拠点でした。平将門が独立国を作ろうとしたのも香取海周辺です。ちなみに香取海は江戸時代まで存在していました。

名前の由来?

「息栖=いきす→おきす=沖洲」 香取海に浮かぶ沖洲にあったのでは?と推測されています。
息栖神社 礎石
1960年に開催で焼失、1963年再建
色々な場所に行くと大変残念に思うことがあります。戦後に焼失した歴史的建物です。東京では谷中の五重塔があります。ここ息栖神社の社殿も戦後に焼失しました。

息栖神社の社殿史
806年 遷宮
876年 立替え
1704年 立替え
1723年 立替え
1848年 立替え
1963年 焼失により再建

150年前の古い建物を今は見ると事ができません。しかし、古い土台を見る事は可能です。

社殿の左手に5つの「礎石」が置かれています。火事で焼失するまで使われていた礎石です。いつから使われていたかは不明です。歴史のロマンを感じる石です。

つづく…ほいじゃ
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