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ここぞ横浜発祥の地 象の鼻パーク 横浜⑨

ここが横浜発祥の地です!発祥の地と言われると反応する私です。横浜みなとみらい21の象の鼻地区です。横浜ランドマークタワーからの眺めるとまさに象の鼻に見えます。

浦賀の黒船来航から開国、幕府崩壊の道筋を作った歴史の1ページです。

2009年に象の鼻パークとして整備され江戸末期から明治の姿が復元されています。
象の鼻パーク
黒船来航は1853年(嘉永6年)でした。それから16年後の1869年(安政6年)に横浜港が開港されます。最初に幕府は東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が建設しました。

1867年(慶応3年)に東波止場の延長工事を行い弓状になりました。

それから象の鼻と呼ばれる様になりました。

下の写真は象の鼻パークの「開港の丘」と呼ばれるところからの風景です。「象の鼻防波堤」を対岸に臨む事ができます。
象の鼻パーク
横浜はなぜ国際港と外国人居留区として選ばれたのでしょうか。幕府は元々、横浜村の対岸にある神奈川村と隣接する神奈川湊を候補として考えていました。

米国からは江戸にできるだけ近い所という強い要求がありました。

しかし、神奈川村には東海道の神奈川宿がありました。交通の要所であり日本人と外国人の危険な接触を幕府は恐れました。最終的に開国の地を横浜村に決定しました。

そして、1854年に神奈川条約(日米和親条約)が締結されました。
象の鼻パーク
象の鼻がなかった時期があります。1923年(大正12年)の関東大震災で被災し一部が海に沈んみました。その後の復興で象の鼻は直線に近い形状で普及されてまったのです。

2009年の横浜開港150周年に際して江戸末期から明治の波止場を再現し象の鼻パークが開園されました。
象の鼻パーク
象の鼻パークには「象の鼻テラス」という建物があります。カフェや多目的スペースが用意されています。「開港の丘」からテラスの屋上へ行ける湾曲した道があります。

つい最近、NHKラジオの「夏木マリ・丈夫も芸のうち」がここから放送されていました。(レア情報)
水上バス、湾内遊覧船の発着場「ピア象の鼻」
「象の鼻防波堤」へと移動しました。途中に水上バス、湾内遊覧船の発着場「ピア象の鼻」があります。象の鼻を包む様に作られた空中遊歩道「山下臨港線プロムナード」からの景色は絶品です。

後で調べると「工場夜景探索ツアー」をやっていました。夜の工場は最高です。次回は絶対に乗ります!
象の鼻パーク
湾曲し始める辺りは「開港波止場」と呼ばれています。イベントなどができる広場になっています。連なる「スクリーンパネル」夜になると光るそうです。

次回は夜に歩いてみたいものです。きっと、素敵なのでしょう。
象の鼻パーク
これが「象の鼻防波堤」の先端です。対岸の「開国の丘」が見えます。少し手前には海の中に関東大震災で沈んだ「象の鼻波止場」が見えます。光の関係で残念ながら撮影できませんでした。

150年前のロマンです!

日本の歴史を大きく動かした場所の一つであり、その後も外国との扉となり新しい文化を運び入れてた場所です。当時の人の想いを想像してみました。

たぶん「大きな不安と未知なるものへの期待」だったでしょう。

ネットで見付けた明治15年の古地図にシッカリと「象の鼻」があります。

銅版横濵地圖

象の鼻パーク
150年前とつながる体験です。

ほいじゃ
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