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下町の影 浜町川跡 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑱

怪しい!異常なほどの直線、狭まった両側の建物、中央の何かを埋めた跡…明らかに昔に水路があった事を物語る場所です。私だけでなく他の参加者のレーダーにもビビッと反応した様です。

東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」のフィールドワークで下町区間は軽く流すつもりでした。

人形町から最終目的地「鳥越神社」へ向かう道中は地下鉄組みと歩き組みに分かれました。私は歩き組に入り浜町、両国広小路、柳橋を経て鳥越神社まで歩きました。結果として影の東京に引き込まれてました。
浜町川跡
水路跡の予感はその前にありました。浜町の久松警察署辺りに公園らしき下町としては開かれた空間がありました。そこに小川橋の由来と書かれた石碑がありました。

そこで一部の人たちが疑念の声を上がていました。

石碑によると小川橋の由来は明治時代に凶悪犯を逮捕してその傷で亡くなった小川警部補の名前から来ているそうです。

しかし、古地図を見ていた人達は江戸時代に「小川橋」があったことに気付いていました!「???」
小川町の由来の石碑
誰が先導しているのか知りませんでした集団は細い道へと誘われました。公園を抜けて細い路地に入るとブラタモリ、タモリ倶楽部、DEEP東京で取り上げそうな場所にやって来ました。

それがどこかも分からず気になるところの写真を撮って行きました。
浜町川跡
特に気になったのが段差と細い水路の跡です。不自然です。ここに河岸がありましたと言わんばかりの段差です。段差の下には水の流れがあったのでしょう。

一体ここは何だ?

両脇には古い建物が迫る様に並んでいます。時々、バラック小屋の様な粗末な建物も残っています。
浜町川跡
江戸時代に浜町川(堀)があった場所です。第2次世界大戦終了後に東京大空襲で焼けた東京の残土や瓦礫を処理するために昭和24年までに多くの堀が埋められました。

浜町川もその一つです。隅田川西岸の堀は戦後の復興と開発で日本橋川を残しほぼ無くなりました。
浜町川跡
さらに進むと街の状態はさらに悪化しています。一つに連なっていた建物を切り売りした光景が何か所から見られました。また、切った後に壁を失った建物はトタンで補修してありました。

浜町の辺りで土地問題が存在することを遠い親戚から聞いたことがあります。

実際に地権者が住んでいない所も多く問題が複雑化しているそうです。また、噂によるとこの辺りは戦後の住宅不足から不法占拠があったとも聞いています。
浜町川跡
戦後に堀は数十年をかけて段階的に無くなって行きました。もっとも堀が消えたのは昭和20年前半です。堀を埋めて土地を作り売却して費用にしたり、外濠の様に埋めた土地に道路を作りました。

戦前:西堀留川など
昭和20年代:
浜町川、竜閑川、東堀留川、新川、三十間堀川、外堀(昭和40年代まで)

昭和30年代:
楓川、京橋川、築地川、桜川(昭和40年代まで)、佃川

昭和40年代:
箱崎川、明石掘など小さな堀
浜町川跡
さらに先には真っ直ぐ伸びる細い道と溝蓋(どぶぶた)が続きました。都会の中と思えない時間が止まった様な空間です。

下町の核心に迫るとどうも荒んだ何かを感じずにはいられません。これも東京も文化です。しっかりと記録していこうと思います。

ほいじゃ
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