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じっくりと 神田明神 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑪

平将門という視点から新鮮な気持ちで参拝できました。近くに職場があったことから数えられないくらい訪れた神田神社(神田明神)です。ブログにも何回も登場しました。

しかし、じっくり書いた事はありませんでした。

江戸の守り神である「江戸総鎮守」、明治以降も「東京の守護神」とされた由緒ある神社です。東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」の第4の目的地として参拝しました。
神田明神 隨神門
元々、神田明神は大手町付近にありました。江戸時代初期に現在の場所に移転してきました。当時は江戸時代が始まり江戸城を中心とした都市開発が盛んな時期でした。

1、江戸時代以前 大手町付近・将門塚周辺(武蔵国豊島郡芝崎村)
2、慶長八年(1603)神田台へ移築
3、元和二年(1616)現在の場所へ移築

創建は古く奈良時代まで遡ります。社伝によると天平二年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が創建したと伝わっています。
神田明神 本殿
一般的に神田明神と言われていますが現在の正式名は神田神社です。境内の多くの建物が国の登録有形文化財に指定されています。当然、門も本殿もです。

上の写真は「本殿」です。元々の本殿は関東大震災で焼けてしまい、昭和9年(1934)に鉄筋コンクリートの総朱漆塗の本殿が再建されました。東京大空襲から境内で唯一残った建物でした。

下の写真は「隨神門」です。昭和51年(1976)に檜木造の門として建てられました。この門が出来た事で江戸時代に負けないくらいの豪華さになっています。
神田明神 隨神門
神田明神は平将門と縁のある神社ですが、朝敵として討たれたため明治以降御祭神から外れました。明治から昭和30年までは天皇を中心とする国歌構造でした。

天皇に刃向った人物が祀られる神社は都合が悪かったのでしょう。

<現在の御祭神>
一之宮 大己貴命(おおなむちのみこと)
 国土経営、夫婦和合、縁結びの神様

二之宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 えびす様。商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。

三之宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)
 延慶2年(1309)にご奉祀。平安時代に民衆のため朝廷と戦った人物。

明治7年(1874)から昭和59年(1984)まで平将門命は本殿でなく摂社・将門神社に移されました。その時に茨城県の大洗磯前神社から勧請されたのが二之宮の大洗少彦名命です。

明治時代に将門公が御祭神から外されるでき事は築土神社でも起きています。
神田明神 神馬
【訪れた2013年6月末、境内に神馬がつながれていた。】

神田明神の由緒、御利益が幅広い分野と層の人々を惹きつけます。下町の人々、ビジネスマン、医療関係者、商売人などが参拝に訪れます。

また、神田明神は「戦勝」の神社としても有名です。初詣には会社ぐるみで参拝するビジネスマンで殺到します。

徳川家康公は関ヶ原の戦いの前に戦勝祈願に神田明神に訪れ神田祭の日に勝利しました。また、それ以前も太田道灌や北条氏綱と言った戦国時代の名武将に崇敬(すうけい)されていました。
神田明神 茅の輪潜り(ちのわくぐり)
神田明神で夏の大祓(おおはらえ)として「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われていました。8の字に左、右、左と3回輪をくぐります。百度参りしたのと同じ御利益があると言われています。

この茅の輪の横にはなぜか柵があり距離があったことから小走りに輪を3度くぐりました。これで夏のお祓い完了です!

大きな地図で見る
私にとって身近な神田明神ですが正面の参道よりも横や背後から上がって来る方が地形的に面白味があります。北側は妻恋坂からの急な登りになっています。東は明神男坂、明神女坂の急な階段があります。

西側の駐車場を抜けると小さな公園があり、さらに進むと妻恋坂と清水坂がぶつかる清水坂下の交差点に出ます。

神田明神は本郷台地の先端部分に位置しています。地形的に豊かな土地でもあります。また、清水坂下から清水坂を行くと尾根道が続きます。

そして、湯島天神に至ります。歴史的、地形的な魅力あるウォーキングコースです。

ほいじゃ
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