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点が線になり面に 早稲田通りと平川 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑪

点と点がつながり線になっていく感動がたまりません。私にとって早稲田は早稲田、神楽坂は神楽坂でした。どちらも地図上では早稲田通りでつながっていますが頭の中では別々でした。

東京スリバチ学会の「130629フィールドワーク北斗七星スペシャル」で平将門とゆかりのある神社や塚が北斗七星状に並んでいるミステリアスのスポットを歩きました。

早稲田と神楽坂を結ぶ早稲田通りが気になりました。「ただの道ではないぞ」という直感レーダーが動きました。
早稲田通り 穴八幡宮
北斗七星状に並ぶ平将門に縁のある神社や塚を巡る行程でした。西から2つ目の水稲荷神社、3つ目の筑土八幡神社は早稲田通りの近くにあります。

通り沿いには江戸時代の馬術訓練場「高田馬場跡」があります。

坂を下った所には吉宗公の病いの際に流鏑馬を奉納した穴八幡宮があります。平安末期から続く古い神社です。
早稲田通り 三朝庵 元祖かつ丼
穴八幡宮の対角には日本初のかつ丼で有名な三朝庵も今も営業を続けています。1921年に日本で初めて卵とじのかつ丼を考案した店とされています。

早稲田駅から地下鉄で一駅先の神楽坂駅は神楽坂の坂上です。
早稲田通り 赤城神社
駅出口の背後には赤城神社があります。以前、訪れブログを書くために調べました。山岳信仰の赤城神社がなぜここに?という疑問の答えの半分は神社の公式ページにありました。

「AD1300年頃に群馬県赤城山麓の大胡の豪族「大胡彦太郎重治」が牛込に移住した際に分霊を祀った」

群馬と関係がある道?さらに調べると江戸時代以前の地図に答えの残り半分がありました。そこには上州道と書かれていました。
早稲田通り 神楽坂坂上
やはり、古道でした。江戸時代以前の地図はざっくりしていたので江戸時代の古地図を見ました。現在の道の方がスムースな曲線に見えます。しかし、基本的な社寺と道の関係は同じでした。

地形的な観点から調べると面白いことが見えて来ました。

早稲田通りは東京23区内で最も広く削られた土地の横を走っています。平川(現在の神田川)が削った土地の横を通る尾根道でした。

神楽坂の発展は江戸時代以降ですが、それ以前から交通の要所でした。

上州道をさらに調べていくと江戸城の田安門から秩父を通り群馬県の南西部へ続く道の様です。資料が少ないのでこの調査は今後は続けたいと思います。

赤城神社が神楽坂にあっても不思議ではなかったという事です。

さらに興味を持ったのは平川の存在でした。水稲荷神社から神田川方向にある甘泉園の地形は川に向かって斜面になっていました。その削れ方は大昔に大河があった事を示しています。
甘泉園公園
甘泉園公園のブログを書いた時に「神田川の流れに削られた」と書いてしまいました。それがずっと違和感として残っていましたが解消できました。

神田川を含め江戸(東京)の川は土木工事で流れを大きく変えられています。神田川はその最たるもので元々の流れを想像できないほどに手が加えられています。

答えを探るには縄文時代まで遡ると容易です。その当時の東京の主流は旧石神井川と平川でした。平川は江戸城の横にあった日比谷入り江に流れ込んでいたと言われる川です。

江戸幕府により最も流れが変えられた川の一つです。江戸以前の詳細な平川の流れの資料が少なく詳細は分かっていません。
平将門 北斗七星
平将門と縁のある北斗七星状に並ぶ神社の西から3つ目にあたる筑土八幡神社は平川の川岸の岡上にあった事になります。少し下流に白鳥池という巨大な池がありました。

最終的に江戸城の横にあった日比谷入り江に流れ込みます。大手町は河口の町だったことになります。大手町と言えば平将門ゆかりの神社の多くが元々あった場所です。

現在は「将門の首塚」しか残っていませんが、「津久戸明神(築土神社)」、「神田明神(神田神社)」の発祥の地です。

上州道、平川の流れ…色々な事がつながり始めました。頭の中で点が線になり面なって行く過程にあります。

次に行った神田明神は平将門は北斗七星で言うと西から4つ目になります。流れを大きく変えられた神田川の近くにあります。

つづく…ほいじゃ
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