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奇妙な巡り合わせ 筑土八幡神社(後編) 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑩

東京23区には名前も歴史もややこしい神社があります。筑土八幡神社と築土神社です。どちらも『つくど』と読みます。しかし、字が『筑』と『築』で違います。

意図的か偶然か分かりません。ある時期に同じ場所に存在していました。

東京スリバチ学会のフィールドワークで訪れたのは筑土(明神)八幡神社です。先日のブログでも成り立ちを紹介しました。平将門と縁があるのは築土神社のほうです。
筑土八幡神社
築土神社は創建から3回の移転、3回(4回?)の名称変更がありました。

①平安時代 940年
津久戸明神大手町付近に創建された。
平将門の首を祀ったとされ元々は血首明神と呼ばれていたという説もある。

②室町時代
太田道灌によって田安郷(九段下坂上)に移転され田安明神と呼ばれる

③江戸時代 元和二年(1616)
江戸城外堀拡張のため筑土八幡宮の隣接地に移転し築土明神と呼ばれる


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【現在の築土神社の位置】

④明治時代 明治7年(1874)
主祭神が平将門から天津彦火邇々杵尊に変わり築土神社と改称される

⑤昭和時代 昭和20年(1945)
戦災で焼失し現在の地(九段北一丁目)へ移転

江戸時代から終戦まで両社は隣接していました。この時に筑土(つくど)明神八幡宮と呼ばれる様になったという説もあります。

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【現在の筑土八幡神社の位置】

江戸時代の古地図では同じ場所に「築土明神」「八幡宮」と2行に分けて書かれています。

これはどう言うことなのだろうか?「築土明神八幡宮」という名前の神社なのだろうか?

それとも「築土明神」&「八幡宮」ということなのか?

血首(明神)→津久戸(明神)→築土(明神)→筑土(明神)

→{筑土明神+八幡宮=筑土明神八幡(神社)}=現在の呼び名

築土神社の存在が筑土八幡宮の名前に大きく影響した可能性は高いと言えるでしょう。

また、二社の主祭神が違います。北斗七星状の神社と塚にある筑土八幡神社よりも築土神社の方がより平将門との関係性が強いことが分かります。

筑土八幡神社:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇
築土神社:天津彦火瓊々杵尊、平将門之霊

江戸時代に築土神社が北斗七星上に移転された理由は江戸城の拡張工事のためでした。

徳川家康公が北斗七星状に社寺を並べることに強いこだわりを持っていたするならば築土神社の移転は必然性があったのかもしれません。なぜなら、平将門と深い関係にある神社だったからです。

江戸は風水を基に設計された都市であることは有名な話です。

北斗七星のパワーも本当に活用したのでしょうか?どれほどその力は信じられていたのでしょうか?それがこの疑問を解決するカギになります。今回はここまでで止めておきます…。
筑土八幡神社 記念撮影
二社が江戸時代から終戦まで同じところにあったのは意図的だったのか?それとも偶然だったのか?今の所は良くわかりません。奇妙な巡り合わせとしか言いようがありません。

筑土八幡神社で東京スリバチ学会のフィールドワークに参加した人々で記念写真を撮りました。

職種も境遇も違った人々が街歩きという共通点を持って集まった人々です。こちらも奇妙な巡り合わせてと言えるでしょう。

ほいじゃ
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