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100年後にも 甘泉園公園 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑧

東京23区内のオアシスです。清涼感のある水と緑の空間は江戸時代の回遊式庭園の趣を今に伝えています。車の騒音や街の喧騒が聞こない閑静な公園です。

東京スリバチ学会の「130629フィールドワーク北斗七星スペシャル」で立ち寄った甘泉園公園です。
甘泉園公園
新宿区立甘泉園公園は都内でも四季折々の姿を楽しめるスポットとして有名です。春のツツジ、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の雪吊りと違った表情を魅せます。

江戸時代の古地図を開くと清水殿と書かれた広い土地にあたります。

高田馬場と神田川に接していました。今は間に建物があり、川の流れも当時と変わっています。加えて江戸時代に離れた所にあった水稲荷神社が隣接しています。
甘泉園公園
清水殿とは清水德川家のことです。公園は清水家の下屋敷の回遊式庭園を継承しています。この土地の歴史をさらに詳しく紐解いてみました。

戦国時代:山吹の里と呼ばれていた
寛永十三年(1636):元々隣接していた高田馬場ができる
宝永年間(1704~1711):尾張徳川家の拝領地になる
安永五年(1774):清水徳川家(初代)の下屋敷になる

ある疑問にぶつかります。戦国時代から1600年代までの姿はどの様な場所だったのだろうか?
甘泉園公園
ヒントは戦国時代初期に山吹の里と呼ばれていたことと神田川によって削られた土地の斜面にあることです。公園内の高い所を歩いていると写真の様な風景を見付けました。

私の中でこれが1700年より以前の山吹の里のイメージです。

鹿島神宮の森にも似た様な風景を見たことがあります。しかし、園内は回遊式庭園なので高い所は築山の可能性もあります。

木々が茂った斜面のイメージです。あくまでも想像です。
甘泉園公園
回遊式庭園の湧き水はお茶に合う美味しい水だったことから甘泉園(かんせんえん)と呼ばれました。昔の「甘さ」とは現代人が砂糖に感じる味でなくお茶に感じるほのかな甘さの様です。

残念ながらその湧き水はすでに枯れているそうです。

では公園内に勢い良く吹き出る水は一体どこから来ているのだろうか?もしかしてポンプ…?
甘泉園公園
清水家下屋敷は明治以降に多くの大名屋敷が辿った経緯を踏襲しています。有力者の所有地化、大学の敷地化という歴史を歩みました。そして、戦後に行政管轄の公園となりました。

明治時代 子爵相馬家の庭園になる
昭和13年(1938)早稲田大学が譲り受ける
昭和36年(1961)※東京都に売却
昭和44年(1969)新宿区の区立公園になる

※早稲田大学の増築に伴い、旧水稲荷神社境内の敷地を大学が買収し、東京都が甘泉園の敷地を買い取り水稲荷神社、高田富士(富士塚)、富塚古墳が甘泉園内の敷地に移築されました。

(一つ前のブログにも書いた内容です。)

時代の変化は時に由緒ある土地も翻弄します。所有も変わり古い土地が元々の形を変えて行きます。水稲荷神社が移転された様に江戸時代にも多くの社寺が幕府の政策により移築されています。

平将門の北斗七星の一つあの神田明神も江戸時代に現在の地に移築された神社です。

私が水稲荷神社に感じた無念感は戦後という余りにも近い時代に社地を移転された事にありました。江戸時代に移築された神田明神には同じ感情は持ちません。

100年後の人は水稲荷神社の移築を歴史の一部として受け入れるのでしょう。

甘泉園は違います。江戸時代の大名屋敷を今に伝える貴重な存在です。100年後も同じ場所に今の姿を残っていて欲しいと思います。

ほいじゃ
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