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全部移築!? 水稲荷神社 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑦

江戸の面影を想像したい人には少々残念な場所です。水稲荷神社です。平将門の怒りを鎮めためとされる北斗七星の形に配置された神社の2つ目にあたります。

調べると元々の場所は現在の早稲田大学の中でした。1960年代に神社と大学が土地交換を行い現在の場所に遷座されました。
水稲荷神社
現在の水稲荷神社は甘泉園公園の隣です。江戸時代には清水徳川家の下屋敷があった所です。神社としての歴史は古く941年に藤原秀郷(ひでさと)が冨塚の地に稲荷大神を勧請(分霊を迎え遷座)した事に始まります。

藤原秀郷とはあの平将門を討った人物です。
平将門 北斗七星
同時に将門の呪いを恐れ北斗七星の一つ目の神社「鎧神社」を参拝し鎧を埋めたとも伝わるた人物であります。

水稲荷神社は元々秀郷の役職である鎮守府将軍から将軍稲荷、又は地名から冨塚稲荷と呼ばれていました。当時の地名「冨塚」は変化して現在の地名「戸塚」となっています。
水稲荷神社
水稲荷神社の情報はまとまった物がなく苦労しました。立派な図書館など行く余裕もなく、ネットで情報収集しながら照合して行きました。そして、次の事が分かりました。

<移築前>
※元々の場所は西早稲田キャンパス9号館付近
・富塚古墳が存在しており藤原秀郷がここに稲荷大神を勧請した。
・1702年に神木である椋(むく)の根元から霊水が噴出した。
・江戸市中最古の富士塚である「高田富士」があった。
・椋の神木は昭和20年5月に焼けた。
・戦後に霊水は出なくなった。

<移築後>
・富塚古墳が元々あった場所は「富塚跡」として新宿区登録史跡になっている。
・富塚古墳は本殿の背後に新築されている。
・残った御神木の根元は大切に保管されている。
・高田富士は現在の境内に新築され7月に一般公開される。

霊水が出たことが水稲荷神社と呼ばれる所以の一つです。「水稲荷の翁」という人物が受けたお告げから火難息災の神になりました。霊水は眼病に効くと江戸市中で噂になったと伝えられています。
高田富士 水稲荷神社
現在の水稲荷神社の背後にある富塚古墳です。新たに作ったとは思えない重みを感じます。頂上には御稲荷さんがあります。
高田富士の横にある穴 水稲荷神社
穴の中にも御稲荷さんがあり神聖な雰囲気を助長しています。木々が鬱蒼と茂り元々これが古墳だったと言われても疑わないでしょう。
水稲荷神社 大田道灌の駒繋松
私が一番興味を持ったものは「太田道灌 駒繋松」です。「矢吹の里は此辺一体を云う名です」と付け加えられています。情報をまとめるとこうなります。

江戸時代より前は甘泉園から近くの面影橋の辺りを「山吹の里」と呼んでいたそうです。

太田道灌(1432~1486)が鷹狩りの際に雨に遭い農家の娘に蓑(のみ)を借りたという伝説が残る場所です。駒繋松は道灌が馬をつないだ木とされています。この松は三世代目と書かれたサイトもありました。

太田道灌は德川家康が江戸へ入る前に戦国時代の混沌とした関東で活躍した武将です。江戸城の祖でもあります。江戸を語る上では絶対に避けられません。

水稲荷神社が戦後に移築された事を知り、昔の面影を想像する喜びを奪われ意気消沈していました。しかし、「山吹の里」という言葉が私に元気をくれました。

次に行った甘泉園公園も含まれています。

1400年代の木々が茂った矢吹の里を想像してみます。

つづく…ほいじゃ
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