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古道ぽいから 高田馬場跡 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」⑥

「130629フィールドワーク北斗七星スペシャル」の第2の目的地である水稲荷神社に近づきました。iPhoneでGoogle Mapを見ながらどの道から行くか周りの人と話していました。

ある人が「こっちの方が古道ぽいから」…一瞬にして決まりました。

この一言にしびれました。近道を捨て不自然に湾曲しながら入り込む道を選択しました。流石、東京スリバチ学会フィールドワークの参加者と思いました。
茶屋町通り
ビンゴです!道の入口には「茶屋町通り」と書かれていました。

江戸時代の古地図を見ると高田馬場があった場所でした。江戸時代に造られた馬術訓練と流鏑馬のための馬場です。流鏑馬は近くの穴神社に奉納さていました。

馬好きな私には重要な場所でした。

茶屋通りの案内棒によると「馬場の見物人が多く地元の農家が茶屋を開いていた」とのことです。昔から馬好きはいた様です。
高田馬場跡
長方形の馬場の反対側に「高田馬場跡」と書かれた案内板があります。ここにも茶屋について記述がありました。茶屋の数は八軒だったそうです。

歌川広重の「名所江戸百景第115景」と合わせて想像すると当時の姿がより鮮明に見えて来ます。
堀部安兵衛之碑
案内板には赤穂浪士で有名な堀部安兵衛(武庸)が叔父の菅野六郎左衛門の決闘を助太刀したところです。水稲荷神社の境内には「堀部安兵衛之碑(写真上)」と「堀部武庸加功遺跡之碑(写真下)」があります。

堀部安兵衛が名をあげた「高田馬場の決闘」です。

茶屋町通りからこれだけの歴史と場所が結びつくとは…恐るべし古道視点!
堀部武庸加功遺跡之碑
高田馬場の「高田」の由来は2つの説があります。

1、家康公の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母が高田殿(茶阿局)の遊覧地だった
2、地形的に高台だったことから俗称「高田」と呼ばれていたため
(Wikipediaより)

スリバチ本によると早稲田は神田川で潮の影響を受けない最下流で江戸でも有数の田園地帯でした。もし、高台にも田んぼあったとすれば「高い所にある田」という名前は決して不自然ではないでしょう。

ちなみに歌川広重の「高田の馬場」には田園風景らしき光景が描かれています。それとも畑か?

ちなみに…

子供の頃、「高田(の)婆(ババア)」と勘違いして変な地名だと思ったことがありました。

第2の目的地「水稲荷神社」は間近です。

つづく…ほいじゃ
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