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この違和感は何? 百人町三丁目 東京スリパチ学会「北斗七星スペシャル」④

百人町三丁目の一コマです。個性的な家です。百人町と聞くと新大久保駅前の繁雑なイメージがまず浮かびます。これは一丁目と二丁目に限った話です。三丁目と四丁目は正反対の閑静な住宅街でした。

この違和感は何だろう?

東京スリバチ学会の「130629フィールドワーク北斗七星スペシャル」の道中で通り過ぎた新宿区の百人町に興味を抱きました。
百人町 緑の家
江戸時代の古地図を開いてみました。

現在の一丁目と二丁目は江戸を警護する幕府直属の鉄砲隊「百人組」が住んでいた場所にあたります。現在の三丁目と四丁目の場所には何も書かれていません。

明治の古地図を開くと三丁目、四丁目は陸軍省用地でした。一丁目、二丁目は豊多摩郡大久保村大字大久保百人町となりました。イメージが違うはずです。
百人町
百人町が東京市に編入されたのは1914年になってからです。終戦後に住宅不足解消のために三丁目、四丁目は宅地化されたました。

一方、戦前の駅に近い一丁目、二丁目辺りは文化人が住む町でした。戦後は混乱の中で不法占拠、日雇い労働者の流入などで一変しました。

新大久保と言えばコリア・タウンです。その形成は戦後十数年の間に起きています。
百人町三丁目ポケットパーク
三丁目、四丁目は1972年に広域避難所に指定され1990年に「百人町三丁目・四丁目地区整備計画」が決定されました。そして、次の様な取組みが実行されました。

・木造住宅の建て替え
・細く狭い路地の解消と新たな街路、ポケットパーク(写真上)
・建築研究所跡地の防災公園化(百人町ふれあい公園)(写真下)
新宿区百人町ふれいあ公園
当時の再開発計画はほぼ完成され次の計画がすでにできています。一方、駅近くの百人町では土地関係の権利が複雑化しているため再開発が進まないのが現状です。

同じ百人町でも一、二丁目と三丁目では印象が全く違って当然です。実際の姿を目をしてから調べると、辿った歴史の違いを確認できます。

普段、何気なく見る風景にも人の歴史があり、その結果としての今の姿があると実感しました。

ほいじゃ
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